今は昔、
壱岐守宗行の家来が、些細な理由により、主人に殺されそうになったため、
小舟に乗って逃げ、新羅の国へ渡り、そこに隠れていた。
その折、新羅のきんかいという所で、たいへんな騒ぎが起きたため、
「何事ぞ」
と問えば、
「虎が国府の中へ入り、人を喰っている」
と言う。
郎党、さらに尋ねて、
「虎は何頭いるんだ」
「一頭きりですが、急に出てきて、人を喰らっては逃げて行きを繰り返しています」
これを聞き、郎党は、
「どうせならその虎に逢い、一矢を放ってから死にたいものだ。
虎が賢い相手であるなら、相討ちに死のう。
わしが、むなしくただ喰われることにはなるまい。
いずれにしても、この国の人間の中には、兵(つわもの)の道に、立派なものはないと見える」
などと言うのを聞いた者が、きんかいの国守に、
「これこれのことを、日本人が申しておりますが」
と伝えると、
「ありがたいこと。呼べ」
と命じたため、人が来て、
「お召しです」
それでこの郎党は参上した。
さて国守が、
「例の虎が人を喰うのを、たやすく射殺そうと申したのは、まことか」
と尋ねさせると、
「確かにそう申しました」
と返答する。
「なぜそのようなことが言えるのか」
「この国の人は、敵を倒すのに、
自分の身を安全な場所に置いた上で為そうと考えるため、心許ないのです。
然るに、あのように猛り狂う獣などを相手にしては、
己の身が傷つくのは当然のことなれば、誰も虎に行き会おうとはしないのです。
その点、日本人は、まさに我が身を無き者として参りますれば、良き結果も得られましょう。
弓矢に携わろ うという者は、どうして、我が身をそのように大事がりましょう」
と申し上げたため、国守は、
「では、虎を必ず射殺してくるか」
「我が身が生きるか生きざるかは存じませぬ。しかし必ず虎は射て取りましょう」
と申せば、
「何とまことにありがたいことか。それでは、必ず、きっと射殺せ。褒美は莫大だぞ」
との返答。
郎党は、
「では、虎は何処にいるのですか。どのようにして人を食うのですか」
尋ねると、国守は、
「いつかの折、国府の城中へ入って一人の頭を食い、それを肩に打ちかけて去ったのだ」
郎党が、
「どのように喰うのですか」
と尋ねると、別の者が、
「虎がその者を喰らうに当っては、猫が鼠の様子をうかがうように身体を低く伏し、
その後少しして大口を開けて飛びかかり、頭を食い、肩に打ちかけて走り去った」
という。
「何はともあれ、それであれば喰われる前に一矢射ることもできよう。虎の居所は」
「これより西に、三十四町過ぎたところに、麻の畑があって、そこに伏しているという。
みな怖じ気づいて、その近くへ行く者もない」
というので、
「よし。確かに分らなくとも、そちらへ参ろう」
と、郎党は道具を背負い、立ち去った。
新羅の人々は、
「日本人は、命知らずだ。虎に喰われてしまうぞ」
と集まり、話し込んでいた。
原文
宗行郎等射虎事
今は昔、壹岐守宗行が郎等を、はかなきことによりて、主の殺さんとしければ、小舟に乗て逃て、新羅國へ渡 りて、かくれゐたりける程に、新羅のきんかいといふ所の、いみじうののしりさわぐ。「何事ぞ」と問へば、「虎の國府に入りて、人をくらふなり」といふ。此男問ふ、「虎はいくつばかりあるぞ」と。「ただ一あるが、俄にいできて、人をくらひて、にげて行き行きする也」といふを聞きて、この男の云やう、「あの虎にあひて、一矢を射て死なばや。虎かしこくば、共にこそ死なめ。ただむなしうは、いかでか、くらはれん。此國の人は、 兵〔つはもの〕の道わろきにこそはあめれ」といひけるを、人聞きて、國守に、「かうかうのことをこそ、此日本人申せ」といひければ、「かしこきこ と哉。呼べ」といへば、人きて、「召しあり」といへば、参りぬ。
「まことにや、この虎の人をくふを、やすく射むとは申なる」と 問はれければ、「しか申候ぬ」とこたふ。守「いかでかかる事をば申すぞ」と問へば、此男の申すやう、「此國の人 は、我身をば全くして、敵をば害せんと思ひたれば、おぼろけにて、か様のたけき獣などには、我身の損ぜられぬべければ、まかりあ はぬにこそ候めれ。日本の人は、いかにもわが身をばなきになして、まかりあへば、よき事も候めり。弓矢にたづさはらん者、なにし かは、わが身を思はん事は候はん」と申しければ、守「さて、虎をば、かならず射ころしてんや」といひければ、「わが身の生き生かずはしらず。かならずかれをば射とり侍なん」と申せば、「いといみじう、かしこきことかな。さらば、かならずかまへて射よ、いみじき悦びせん」といへば、男申やう、「さてもいづくに候ぞ。人をばいかやうにて、くひ侍るぞ」と申せば、守のいはく、「いかなる折にかあるらん、國府の中に入きて、人ひとりを、頭を食て、肩に打かけてさるなり」と。この男申やう、「さてもいかにしてか食ひ候」と問へば、人のいふやう、 「虎はまづ人をくはんとては、猫の鼠をうかがふやうにひれふして、しばしばかりありて、大口をあきてとびかかり、頭をくひて、肩にうちかけて、はしりさ る」といふ。「とてもかくても、さばれ、一矢射るてこそは、くらはれ侍め。その虎のあり所教へよ」といへば、「これより西に卅四町のきて、をの 畠あり。それになんふすなり。人怖ぢて、あへてそのわたりに行かず」といふ。「おのれただ知り侍らずとも、そなたをさしてまからん」といひて、調度負いて 去ぬ。新羅の人々「日本の人は、はかなし。虎にくはれなん」と、あつまりて、そしりけり。
適当訳者の呟き:
久しぶりに長めの話。続きます!
宗行:
むねゆき。壱岐守宗行を検索しても出てきませんが、栃木県で人気の小山氏の先祖に、それっぽい人が出てきます(兄とか叔父が壱岐守)。
平将門をやっつけた藤原秀郷からすると、6代目。
>平安時代後期に武蔵国に本領・太田郷(太田荘)を有した太田氏が下野国小山荘を領し、政光(宗行の子)が1150年頃にはじめて小山に移住して小山氏を名乗った
とあるので、年代的には宇治拾遺っぽいですが、新羅は935年に滅亡してますので、完全な別人かもしれません。
新羅のきんかい:
おそらく、朝鮮半島の南東部、良州の金海京という都のこと。
古代の伽羅・弁韓諸国の中心、金官国のあったところみたいです。
[3回]
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