これも今は昔。
桂川へ身投げして仏果を得ようとする聖者が、
それに先立ち、一条京極の祇陀林寺で百日懺法行という修行を始めたというので、
これを拝もうと、近所から遠方から、道も通れないほどに女房車などが集った。
その姿は、と見れば、三十歳過ぎの僧侶で、細い目は人と合わせることはなく、
眠ったような半眼で時々、「阿弥陀仏」と申す声を発するが、
それ以外では唇ばかりを動かして、ただ念仏を唱えているものと見えた。
時々は、そっと息を吐くようにして、そこへ集った人たちの顔を見渡したので、
集った者たちは聖者と目を合わせようと、こっちで押し合い、あっちで押し合いして、
ひしめき合っていた。
そうして桂川へ入水するという、当日。
聖は朝早くからお堂へ籠っており、
やがて、中へ入っていた僧たちが大勢、ぞろぞろ出てきたと思うと、
その最後の雑役車に、紙の衣に袈裟などを着た例の聖者が乗り込んで、出てきた。
何を申しているのか、唇だけを動かし、もう人々とは目を合わせず、時々大きく息を吐いた。
道々に立ち並んだ見物人たちは、打ち米を、あられのように降らせて道を清める。
と、これを見て聖は、
「何とも、こうして打ち米が目鼻に入って堪え難い。
志があるのなら、米は紙袋などへ入れて、わしの居たところへ送れ」
と、時々口にするので、何も知らない者は手を摺り合わせて拝んでいたが、
いくらかでも道理を知る者は、
「なぜああやって聖は言うのか。もう今から水へ入ろうとするのに、
『祇陀林へやれ、目鼻に入って堪え難い』などと言うのは、おかしくないか」
と、ささやいた。
さて、車を走らせて七条の端へ車が運ばれて来れば、
入水する聖者を一目拝もうと、
そこには京都どころではなく、河原の石よりも多くの人が集っていた。
川端へ車を寄せて止めると、聖者は、
「ただ今は、何刻ぞ」
と尋ねる。
供についていた僧侶たちが、
「申の下刻になったところだ」
と言えば、
「往生の刻限には、まだ間がある。今すこし暮れるのを待とう」
と聖は言った。
これを待ちかねて、遠くから来たものなどが帰り始めるので、
河原の人出はいくらか減ってきたが、それでも、見届けようという者は変らず立っていた。
しかし、その中にも僧侶などが、
「往生するのに刻限などを定めるであろうか。おかしな話だ」
と呟く。
そうこうしているうちに、いよいよ聖がふんどし姿で西に向い、川へざぶりと入ったが、
舟べりの縄へ足をかけたまま、ずぶんとは沈み込まず、もがいている。
それで弟子の僧侶が縄を外してやったところ、
聖は逆さまに沈んで、ごぶごぶとするばかり。
これを見かねて、近くで見ようと川中で立っていた男が、聖の手を取り、引き上げてみれば、
聖は両手で顔をこすりながら、口の中の水を吐き出すなり、
引き上げた男へ向い、手を摺り合わせて、
「広大無辺のこのご恩は、極楽に参った後にお返し申します」
と、岸へ上がってしまったため、
そこらへ集った者や京童どもが、河原の石をとって、ばらまき浴びせるように投げつけた。
全裸の法師は、河原を下流へ下流へと逃げて行くが、
町衆が石を受け取り受け取り、投げ打ったため、とうとう僧侶は頭を割られたらしい。
ちなみにその後、この法師であろうか、
誰かのもとへ、大和から瓜が送られてきた時の手紙の上書きに、
「前の入水の上人」
と書いてあったという話である。
原文
空入水シタル僧事
これも今は昔、桂川に身投げんずる聖とて、まづ祇蛇林寺にして、百日懺法行ひければ、近き遠きものども、道もさりあへず、拝みにゆきちがふ女房車などひまなし。
見れば、卅余斗なる僧の、細やかなる目をも、人に見合はせず、ねぶり目にて、時々阿弥陀仏を申。そのはざまは唇ばかりはたらくは、念仏なんめりと見ゆ。又、時々、そゝと息をはなつやうにして、集ひたる者どもの顔を見渡せばその目に見合せんと集ひたる者ども、こち押し、あち押し、ひしめきあひたり。さて、すでにその日のつとめては堂へ入て、さきにさし入たる僧ども、おほく歩み続きたり。尻に雑役車に、この僧は紙の衣、袈裟など着て、乗りたり。何といふにか、唇はたらく。人に目も見合はせずして、時々大息をぞはなつ。行道に立なみたる見物のものども、うちまきを霰の降るやうになか道す。聖、「いかに、かく目鼻に入る。堪へがたし。心ざしあらば、紙袋などに入て、我居たりつる所へ送れ」と時々いふ。これを無下の者は、手をすりて拝む。すこし物の心ある者は、「などかうは、此聖はいふぞ。たゞ今、水に入なんずるに、「きんだりへやれ。目鼻に入、堪へがたし」などいふこそあやしけれ」などさゝめく物もあり。
さて、やりもてゆきて、七条の末にやり出したれば、京よりはまさりて、入水の聖拝まんとて、河原の石よりもおほく、人集ひたり。河ばたへ車やり寄せて立てれば、聖、「たゞ今は何時ぞ」といふ。供なる僧ども、「申のくだりになり候にたり」といふ。「往生の刻限には、まだしかんなるは。今すこし暮らせ」といふ。待かねて、遠くより来たるものは帰などして、河原、人ずくなに成ぬ。これを見果てんと思たる者はなを立てり。それが中に僧のあるが、「往生には剋限やは定むべき。心得ぬ事かな。」といふ。
とかくいふほどに、此聖、たうさきにて、西に向ひて、川にざぶりと入程に、舟ばたなる縄に足をかけて、づぶりとも入らで、ひしめく程に、弟子の聖はづしたれば、さかさまに入て、ごぶごぶとするを、男の、川へ下りくだりて、「よく見ん」とて立てるが、此聖の手をとりて、引上たれば、左右の手して顔はらひて、くゝみたる水をはき捨てて、この引上たる男に向ひて、手をすりて、「広大の御恩は極楽にて申さぶらはむ」といひて、陸へ走のぼるを、そこら集まりたる者ども、童部、河原の石を取て、まきかくるやうに打。裸なる法師の、河原くだりに走るを、集ひたる者ども、うけとりうけとり打ければ、頭うち割られにけり。
此法師にやありけん、大和より瓜を人のもとへやりけるに文の上書に、「前の入水の上人」と書きたりけるとか。
適当訳者の呟き:
ひさしぶりの、馬鹿ばなしですね。
祇蛇林寺:
ぎだりんじ。京都市上京区寺町丸太町の南方にありました。今は焼けてありません。
百日懺法行
ひゃくにちせんぽうぎょう。どんなものか、具体的には不明ですが、wikipediaによりますと、天台宗の法要儀式に懺法と言うものがあるそうで、「懺法とは、自ら知らず知らずの内に作った諸悪の行いを懺悔(さんげ)して、お互いの心の中にある『むさぼり・怒り・愚痴』の三毒を取り除き、自分の心をさらに静め清らかにする儀式」だそうです。
よく分りませんが、とりあえず反省するのですね。
申のくだり:
申の下刻。午後5時くらい。夕方。
上書:
うわがき。封書・書物・箱などの表面にあて名・表題・名称などを書くこと――ですが、この場合は、差出人のことだと思われます。
ちなみに、「上書き保存」は、本来の日本語的にはおかしいようです。
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