昔、安倍晴明の土御門の屋敷に、白髪頭の老僧がやって来た。
十歳ほどの童子を二人連れている。
清明が、
「いかなる御人にござりますか」
と尋ねれば、
「播磨の国の者にござる。陰陽術を習いたいと思う。
貴殿が、陰陽師の道にことに優れておいでと聞き、修得しようと参った」
と言うので、清明が思うには、
(この法師はなかなかの人物に違いない。このわしを試みようとして来たのであろう。
悪いところを見せてはなるまい)
そして、
(法師がわしを探ろうという魂胆なら、供に連れている童子も式神を使って連れているのだろう。
――式神ならば隠すべし)
心の中に念じ、袖の中で印を結んでひそかに呪文を唱えた。
そうして法師へ言うには、
「ではひとまずお帰り下さい。いずれ良き日を見て、習おうと仰ることはお教えしましょう」
法師は、
「それはありがたい」
と、手を合わせ、額に押し当てるようにして駆け去ろうとした。
だが門から出ようとしたところで、法師は立ち止った。
さまざまの所、車宿りなどを覗いて歩き回り、また表へ戻ってきて言うには、
「供に連れてきた童子だが、二人ともいなくなっている。それをいただいて帰りたいが」
その言葉に清明は、
「御坊はめずらしいことを仰る。何のためにこの清明が人のお供を取りましょうか」
「それは、あなたの方に道理がござるが、しかし、どうかもうお許しください」
と詫びるので、
「よし。御坊が人を試そうと、式神を使って来たのを煩わしく思ったまでのこと。
余人であればそのように試すのも良かろうが、
この清明を、何としてもそのようにしてはなりませぬ」
と言い、何かを読み上げるようにすると、
少しの後、外から童子が二人で駆け込み、法師の前へやって来たのだった。
それでとうとう法師は、
「たしかに、試み申しました。なるほど式神を使うことは簡単なことでござりました。
今よりは、まことの御弟子になろうと思います」
と言い、懐から名刺を取り出し、差し出したのだった。
原文
晴明(はれあきら)を試みる僧の事
昔、晴明が土御門の家に、老しらみたる老僧来ぬ。十歳ばかりなる童部二人具したり。晴明「なにぞの人にておはするぞ」と問へば、「播磨の国の者にて候。陰陽師を習はん心ざしにて候。此道に、殊にすぐれておはしますよしを承て、少々習ひ参らせんとて、参りたるなり」といへば、晴明が思ふやう、この法師は、かしこき者にこそあるめれ。われを試みんとてきたる者なり、それにわろく見えてはわろかるべし、この法師すこしひきまさぐらんと思て、共なる童部は、式神をつかひてきたるなめりかし、式神ならばめしかくせと、心の中に念じて、袖の内にて印をむすびて、ひそかに呪をとなふ。さて法師いふやう、「とく帰給ね。のちによき日して、習はんとのたまはん事どもは、教へ奉らん」といへば、法師「あら、貴と」といひて、手をすりて額にあてて、たちはしりぬ。
いまは去ぬらんと思ふに、法師とまりて、さるべき所々、車宿(くるまやどり)などのぞきありきて、又まへによりきていふやう、「この供に候つる童の、二人ながら失ひて候。それ給はりて帰らん」といへば、晴明「御坊は、希有のこといふ御坊かな。晴明は何の故に、人の供ならん者をば、とらんずるぞ」といへり。法師のいふやう、「さらにあが君、おほきなる理り候。さりながら、たゞゆるし給はらん」とわびければ、「よしよし、御坊の、人の心みんとて、式神つかひてくるが、うらやましきを、ことにおぼえつるが、異(こと)人をこそ、さやうには試み給はめ。晴明をば、いかでさること、し給べき」といひて、物よむやうにして、しばしばかりありければ、外の方より童二人ながら走入て、法師のまへに出来ければ、その折、法師の申やう、「実に試み申つるなり。使ことはやすく候。今よりは、ひとへに御弟子になりて候はん」といひて、ふところより、名簿(みやうぶ)ひきいでて、とらせけり。
適当訳者の呟き:
清明さんカッコイイ!
安倍晴明:
言わずと知れた陰陽師のスーパースター。この次も清明さんの話です。
※本によっては、今回の話と次の話は、同じ126話です。
ちなみに清明さん。この題名には、「はれあきら」とフリガナしてあります。
「よりみつ」「さだいえ」など、普通は訓読みですが、名高くなると音読みにする、という風習があるので、それで「せいめい」が有名なのだと思われます。「源頼光(らいこう)」「藤原定家(ていか)」「多田満仲(まんじゅう)」とか。
Wikipediaによれば、こういうのを「有職読み」というのですが、どういう人が対象になるのかは分らんそうです。
名簿:
みょうぶ。弟子や家来になる際に差し出す、年月日、官職、姓名などを記した名刺です。
[8回]
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