今は昔、村上天皇の御時。
古い宮の御子で、左京大夫の人がいた。
左京大夫は、背の高い、細身の背格好で、たいへん優美な服装をしていたが、
中味は、姿、行動とも愚かしいほどで、頑固なことも多々あった。
まず頭は、あぶみ頭といって後頭部の突き出た形だったから、
纓(えい)という冠の紐が背中へ垂れず、いつも空中でぶらぶらしている。
顔色といえば、露草の青い花を塗りたくったように青白く、
目のまわりは窪み、鼻はあざやかに高々として赤かった。
くちびるは薄く、色もなく、笑えば出っ歯の歯茎が赤々と見えるし、
髭も赤毛で長たらしい。
さらに声も鼻声で甲高く、物を言えば部屋中に響き渡って聞こえる上、
歩行時には体を振り、肩を振って歩くありさま。
顔がきわめて青いので、
「青常(あおつね)の君」
と、あだ名をつけて、殿上の公達は笑っていた。
さて。
こういう若公卿の容姿について、悪しざまに笑いものにしているのを、
帝がお聞きになった。
「若い者たちが、彼のことをあのように笑うのははなはだ不都合である。
ことに父の宮が聞きつけ、知っているのに制止しなかったと、余を恨みに思うやもしれないから」
と仰せになり、公達を呼び、懇々とお叱りになったところ、
さすがに笑っていた連中も内心大いに恐懼し、一同、笑ってはなるまいと話し合った。
そうして、一同で話し合うには、
「このようなお叱りを受けたからには、今から長く起請文を書こう。
もしこの起請を書いた後で、『青常の君』と呼んだ者は、
みなに酒や果物を振る舞わせて、償わせることにしようぞ」
と言い固めて、起請した。
だが幾らもしないうちに、堀川中将が、思わず、立ち去る後ろ姿を見ながら、
「あの青常まるは、どこへ行くのか」
と口にしてしまった。
(つづき)
原文
青常事
今は昔、村上の御時、古き宮の御子にて、左京大夫なる人おはしけり。ひととなり、すこし細高にて、いみじうあてやかなる姿はしたれども、やうだいなどもをこなりけり。かたくなはしき様ぞしたりける。頭の、あぶみ頭(がしら)なりければ、纓(ゑい)は 背中にもつかず、はなれてぞふられける。色は花をぬりたるやうに、青じろにて、まかぶら窪く、はなのあざやかに高くあかし。くちびる、うすくて、いろもなく、笑めば歯がちなるものの、歯肉あかくて、ひげもあかくて、長かりけり。 声は、はな声にて高くて、物いへば、一うちひゞきて聞えける。あゆめば、身をふり、肩をふりてぞ歩きける。色のせめて青かりければ、「青常(あをつね)の君」とぞ、殿上の君達はつけて笑ひける。
わかき人たちの、たち居るにつけて、やすからず笑ひのゝしりければ、みかど、きこしめしあまりて、「このをのこどもの、これをかく笑ふ、便なきことなり。父の御子、聞て制せずとて、我をうらみざらんや」など仰られて、まめやかにさいなみ給へば、殿上の人々、したなきをして、みな、笑ふまじきよし、いひあへけり。
さて、いひあへるやう、「かくさいなめば、今よりながく起請す。もしかく起請して後、「青常(あをつ ね)の君」とよびたらん者をば、酒、くだ物など取いださせて、あがひせん」といひかためて、起請してのち、いくばくも なくて、堀川殿の殿上人にておはしけるが、あうなく、たちて行くうしろでをみて、忘れて、「あの青常(あをつね)まるは、いづち行くぞ」とのたまひてけり。
適当訳者の呟き
あだ名からして、ひどい。
第11巻開始。後半へつづく!
左京大夫:
正五位上、従四位下のあたり。
「殿上人」といわれる高級貴族の中では、下っ端。藤原氏ではないこともあって、ケチョンケチョンですね。
名前は不明です。
まかぶら:
目の周囲、まぶた。
起請:
きしょう。誓約。江戸時代の遊女が、「好きな人はあなただけ」という起請をたくさん書きました。
堀川中将:
藤原兼通。のちに関白。藤原道長の伯父に当ります。
青常まる:
青常丸。まる、は麻呂が転化したものです。親しみがあるのか、小馬鹿にしているだけか。。。
ちなみに、まる、の語源は「うんこ(をする)」という意味です。
[2回]
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