これも今は昔、比叡山に登った田舎の男の子が、
きれいに咲いた桜に、風が強く吹きよせるさまを見て、
さめざめと泣きだした。
これを見た年上の僧侶が、おだやかに近づいて、
「どうして泣くんだい。桜が散るのが惜しいのかな?
桜は本来はかないもので、こうしてすぐに散ってしまうものだ。
しかし、それこそが、無常の自然というものだよ」
そんなふうに慰めてやると、
「桜が散るのなんて、どっちでも良い。
ただ、私の父親のつくる麦の花もこんなふうに散って、
実がつかないんじゃないかと思うと、悲しいのです」
と、しゃくりあげて泣くものだから、
坊主ガッカリ。
原文
田舎児桜散みて泣事
これも今は昔、田舎の児、比叡の山へ登りたりけるが、桜のめでたく咲きたりけるに、風のはげしく吹きけるを見て、この児さめざめと泣きけるを見て、僧のやはら寄りて、「などかうは泣かせ給ふぞ。この花の散るを惜しう覚えさせ給ふか。桜ははかなきものにて、かく程なくうつろひ候ふなり。されどもさのみぞ候 ふ」と慰めければ、「桜の散らんはあながちにいかがせん、苦しからず。我が父の作りたる麦の花散りて実の入らざらん思ふがわびしき」といひて、さくりあげ て、よよと泣きければ、うたてしやな。
適当役者の呟き)
最後がちょっと難しいです。
比叡の山へ登りたりける:
別に物見遊山で遊びに行ったのではないと思います。
出家して、山へ送られたっぽいですね。
うたてしやな:
この場合は「嘆かわしい。情けない」だと思います。
で、少年の態度がうたてしいのか、坊主の態度がうたてしいのか。
「桜が散るさまに感傷的になるなんて、何て素敵な感性の持ち主だ」
→「実は農作物の心配をしていた」
1.所詮は田舎のクソガキだな
2.坊主の偉そうな解説が空々しいぜ
文法的には、いずれでも良いみたいですが、あたくし的には、
「山へ入ってからも父親の農作業を心配する素敵な息子」
――の話の方がスッキリしますので、後者だと思いました。
[18回]
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