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さて、奥州へ赴き、金を受けとっての帰路。
道則は、また信濃の郡司のもとへ逗留することになった。
土産として金や馬、鷲の羽根などを多く与えたところ、
郡司はたいへん、この上もなく喜んで、
「これはこれは、何と思し召してこれほどしてくださるのか」
それで道則が近くに寄って言うには、
「笑止なことではあろうが、はじめにここへ滞在した折、
不思議なことが起きたのは、いかなるわけであったか」
そう尋ねると、郡司は多くの贈り物をもらった上は、
隠すこともせず、ありのままに白状して言うには、
「私が若いころ、この国の奥の郡に、年とった郡司がおりまして、
そのもとに若妻がおり、私が忍び入りましたところ、
まあ、例のごとく無くなってしまったわけです。
それで夫たる郡司へねんごろに進物を差し出すなどして、修得したのが夕べの術です。
もしこの術を習いたいのであれば、今回は公のお使いですし、
速やかに上京して、また改めて下向して、屋敷へお越しください」
というので、その約束をして上京、
道則は、陸奥の金などを献上すると、すぐに暇を頂戴し、信濃へ下ってきた。
そうして再び郡司へ然るべき贈り物を与えれば、大いに喜んで、
「私の心の及ぶ限りは、お教えいたさねば」
と思った。そして、
「この術は、並の心では習う事はできません。
七日、水を浴び、精進潔斎をして習うことです」
と言う。
道則は、言われたとおり体を清め、七日後になって、
郡司と二人きりで深き山の中へ入った。
やがて大きな川の流れるほとりへ着くと、郡司はさまざまのことを言い、
道則に、口には出せないほど罪深き誓言を立てさせた。
そうして郡司は川上へ入り、
「これより川へ入り、川上より流れ来る物を、何であっても、
いかなるものであろうと、鬼であろうと何でも、そのまま抱きつきなさい」
と伝えて、立ち去った。
そのうちに川上の方から雨が降り、風が吹き始めた。
暗くなり、水かさも増してきた。
と、しばらくするうちに、川上から、頭が一抱えもあるような大蛇が泳いできた。
両眼は金椀のように光り、背中は青く、紺青を塗ったようになっており、
さらに首の下は真っ赤であった。
「流れ来た物へ抱きつけ」
と言われてはいたが、どうしようもないほどに恐ろしく、
思わず、道則は草むらの中へ伏してしまった。
しばらくして、郡司が戻ってきた。
「どうでしたか。取りましたか」
と言えば、
「これこれの思いをして、取れなかった」
といえば、
「それは口惜しきこと。これではもう術を習うことはできません」
といい、
「今一度、試みなさい」
と言って、また川上へ入っていった。
さて、またしばらくすると、今度は、巨岩のごとき大イノシシが出てきた。
石をばらばらと砕き、キラキラと火花を散らして駆けてくる。
毛を怒らせて走りかかるので、これもどうしようもないほどに恐ろしかったが、
「これには何としてでも」
と、思い切って走り寄り、抱きついてみれば、
自分は三尺ほどの枯木へ抱きついているに過ぎなかった。
道則は、うらめしく、悔しいこと限りなくて、
「最前の大蛇も、このようなものであったのだ。なぜ抱きつけなかったのか」
と思ううちに、郡司がやって来た。
「どうでしたか」
と言うので、
「これこれだ」
と言うと、
「先ほどのものを抱き留められなかったため、例の術は習うことはできません。
が、とるに足らぬものを何かに変える術であれば習うことができましょう。
しからば、お教えします」
やがて道則はそれを修得し、都へ戻った。
それにつけても、口惜しいこと限りなかった。
その後、道則は内裏へ参って、他の滝口武士たちと口論した折などに、
連中の沓をみな犬の子にして走らせたり、
古いわら靴を三尺ほどの鯉にして、お膳の上で跳ねさせるなどの術を行ったという。
やがて帝がそのことをお聞きになり、黒戸の傍らへ道則を呼び、術を修得されたという。
そうして帝は、御几帳の上から、賀茂祭へ出かけられたそうである。
原文
滝口道則、習術事(つづき)
さて奥州にて金うけ取て帰時、又、信濃の有し郡司のもとへ行きて宿りぬ。さて郡司に金、馬、鷲羽(わしのは)などおほくとらす。郡司、世に世に悦て、「これは、いかにおぼして、かくはし給ぞ」といひければ、近くに寄りていふ様、「かたはらいたき申し事なれ共(ども)、はじめこれに参りて候し時、あやしき事の候しはいかなることにか」といふに、郡司、物をおほく得てありければ、さりがたく思て、有りのまゝにいふ。「それは、若く候し時、この国の奥の郡に候し郡司の、年寄りて候しが、妻の若く候しに、忍びて罷り寄りて候しかば、かくのごとく失てありしに、あやしく思て、その郡司にねん此に心ざしをつくして習て候也。もし習はんとおぼしめさば、此度は大やけの御使なり。速にのぼり給て、又、わざと下給て習ひ給へ」といひければ、その契をなして、のぼりて金など参らせて、又暇を申て下りぬ。
郡司に、さるべき物など持ちて下て、とらすれば、郡司、大に悦て、「心の及ばん限は教へん」と思て、「これは、おぼろけの心にて習ふ事にては候はず。七日、水を浴み、精進をして習事也」といふ。そのまゝに、清まはりて、その日になりて、ただ二人つれて、深き山に入ぬ。大なる川の流るゝほとりに行て、様様の事共を、えもいはず罪深き誓言どもたてさせけり。さて、かの郡司は水上へ入ぬ。その川上より流れ来ん物を、いかにもいかにも、鬼にてもあれ、何にてもあれ、抱け」といひて行ぬ。
しばしばかり有りて、水上の方より、雨降り風吹きて、暗くなり、水まさる。しばしありて、川より頭一いだきばかりなる大蛇の、目はかなまりを入たるやうにて、背中は青く、紺青をぬりたるやうに、首の下は紅のやうにて見ゆるに、「先来ん物を抱け」といひつれども、せんかたなくおそろしくて、草の中に臥しぬ。しばし有りて、郡司来りて、「いかに。取給つや」といひければ、「かうかうおぼえつれば、取らぬ也」といひければ、「よく口惜事。さては、此事はえ習給はじ」といひて、「今一度心みん」といひて、又入ぬ。
しばし斗有りて、やをばかりなる猪のしゝの出で来て、石をはらはらとくだけば、火きらきらと出づ。毛をいらゝかして走てかゝる。せんかたなくおそろしけれども、「是をさへ」と思きりて走り寄りて抱きて見れば、朽木の三尺ばかりあるを抱きたり。ねたく、くやしき事限なし。「はじめのも、かゝる物にてこそありけれ。などか抱かざりけん」と思ふ程に、郡司来りぬ。「いかに」と問へば、「かうかう」といひければ、「前の物うしなひ給事は、え習ひ給はずなりぬさて、異事のはかなき物ををものになす事は、習はれぬめり。されば、それを教へん」とて教へられて帰上りぬ。口惜事哉限なし。
大内に参りて、滝口どものはきたる沓どもを、あらがひをして皆犬子「ゑのこ」のなして走らせ、古き藁沓を三尺斗なる鯉になして、胎盤の上にをどらす事などをしけり。
御門、此由を聞こしめして、黒戸のかたに召して、習はせ給けり。御几帳の上より賀茂祭など渡し給けり。
適当訳者の呟き:
後半は、下ネタじゃないですね。
陽成院:
陽成天皇は、藤原史上初の関白、藤原基経さんの頃の天皇で、9歳で即位、17歳で退位、それから65年間ずっと上皇、という変った天皇さまです。
外戚にあたる基経さんに翻弄され、そのために暴君であったという噂もあります。
なお、怪しげな術をマスターされていたという情報は、検索では引っかかりませんでした。
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