【ひとつ戻る】
さて、若主人は、
常々、自分を「親の子ではない」と陰口をたたいている連中を呼び、
この老侍の口から、本当は親とよく似ているのだと言わせてやろうと、
後見役を呼び出すと、
「明後日、当屋敷へ大勢がやって来るというから、
しかるべく準備をして、もてなしに粗相の無いようにせよ」
と言うと、後見役はまた、
「む」
と返事して、さまざまな手配を済ませた。
そうして、当日。
親しい友達が四五人やって来ると、
若主人はいつもよりも取り澄ませた顔で出てきて、
酒をたくさん飲んだ後で、
「わしが親のもとに、長年仕えていた者をご覧にいれましょう」
と言うと、集まった人々も、楽しそうに、赤ら顔を寄せて、
「是非とも及びください。故殿のもとにお仕えしていたとは、なかなか興味深い」
と言う。
「誰か――あの者を呼んで参れ」
と言えば、一人が立って、例の侍を呼んできた。
見れば、すでに頭も禿げかけた、六十近い男で、
目元などを見れば、決して嘘を吐くような男ではなかった。
拝領品と思しき、つや出しされた白い狩衣に、練色の衣を着ている。
そういう男が呼ばれて、かしこまり、扇を笏みたいに持って、平伏していた。
若主人が、
「やや、おまえは、わしの父が若い時分より仕えていた者であるな」
といえば、
「む」
と答える。
「父を間近に見ていたであろう、どうか」
そう言うと、
「仰るとおりです。故殿様には、十三歳の頃よりお仕えしておりました。
それから五十になるまで昼夜離れることなくお仕えし、
故殿から、『小冠者、小冠者』と呼ばれ、親しく使われておりました。
また、故殿がご病気を患われた時は、おそばに臥すよう命じられて、
夜中といわず暁といわず、便壺をお持ちしたこともあります。
なるほどその折は、嫌な、堪え難いことのようにも思っていましたが、
お亡くなりになってからは、どうしてそんなことを思ったものだと、
悔しく思うこともたびたびでした」
若主人は、
「数日前におまえと対面したが、わしが障子を開けて出た際、
わしを見上げてほろほろと泣いたのはどういうわけだ。申してみよ」
と、本題を言うと、侍は、
「別のことではありません。田舎で、故殿がお亡くなりになったと聞き、
今一度、面影であっても見たいと、おそるおそるこちらへ参りましたところ、
すぐに客殿でお会いくださることとなり、ありがたいことだと思っておりました。
そこへ、障子を引き開けて、お出になったお姿を見上げましたところ、
真っ黒な烏帽子が出てきたので、ああ、故殿があのようにお出ましになる時も、
烏帽子は真っ黒であったと思い出されて、思わず涙がこぼれたのです」
そんなことを言うものだから、集まった人々は思わず笑いを含むし、
若主人も顔色を変えて、
「よし。ではほかに、故殿に似ているところはどこだ」
と言うと、老侍は、
「そのほかは一切、似ているところはございません」
と答えたものだから、集まった人々は笑って、
一人、二人と逃げ失せてしまうのだった。
原文
実子にあらざる子の事(実子に非ざる人、実子の由したる事)(つづき)
さてこのあるじ、我を不定げにいふなる人々呼びて、この侍に事の子細いはせて聞かせんとて、後見召し出でて、「明後日これへ人々渡らんといはるるに、さる様に引き繕ひて、もてなしすさまじからぬやうにせよ」といひければ、「む」と申して、さまざまに沙汰し設けたり。
この得意の人々、四五人ばかり来集りにけり。あるじ、常よりも引き繕ひて、出であひて、御酒たびたび参りて後、いふやう、「吾が親のもとに、年比生ひ立ちたる者候をや御覧ずべからん」といへば、この集りたる人人、心地よげに、顔さき赤め合ひて、「もとも召し出さるべく候。故殿に候ひけるも、かつはあはれに候」といへば、「人やある。なにがし参れ」といはば、一人立ちて召すなり。見れば、鬢禿げたるをのこの、六十ばかりなるが、まみの程など、空事すばうもなきが、打ちたる白き狩衣に、練色の衣のさる程なる着たり。これは賜りたる衣と覚ゆる。召し出されて、事うるはしく、扇を笏に取りてうづくまり居たり。
家主のいふやう、「やや、ここの父のそのかみより、おのれは生ひたちたる者ぞかし」などいへば、「む」といふ。「見えにたるか、いかに」といへば、この侍いふやう、「その事に候。故殿には十三より参りて候。五十まで夜昼離れ参らせ候はず。故殿の故殿の、小冠者小冠者と召し候ひき。無下に候ひし時も、御跡に臥せさせおはしまして、夜中、暁、大壷参らせなどし候ひし。その時は侘びしう、堪へ難く覚え候ひしが、おくれ参らせて後は、などさ覚え候ひけんと、くやしう候なり」といふ。あるじのいふやう、「そもそも一日汝を呼び入れたりし折、我、障子を引きあけて出でたりし折、うち見あげてほろほろと泣きしは、いかなりし事ぞ」といふ。その時侍がいふやう、「それも別の事に候はず。田舎に候ひて、故殿失せ給ひにきと承りて、今一度参りて、御有様をだにも拝み候はんと思ひて、恐れ恐れ参り候ひし。左右なく御出居へ召し出させおはしまして候ひし。大方かたじけなく候ひしに、御障子を引きあけさせ給ひしを、きと見あげ参らせて候ひしに、御烏帽子の真黒にて、先づさし出でさせおはしまして候ひしが、故殿のかくのごとく出でさせおはしましたえりしも、御烏帽子は真黒に見えさせおはしまししが、思ひ出でられおはしまして、覚えず涙のこぼれ候ひしなり」といふに、この集りたる人々も笑をふくみたり。またこのあるじも気色かはりて、「さてまたいづくか故殿には似たる」といひければ、この侍、「その大方似させおはしましたる所おはしまさず」といひければ、人々ほほゑみて、一人二人づつこそ、逃げ失せにけれ。
適当訳者の呟き:
かわいそう……。
それにしても、どういうわけで、この若主人が故人の息子になったのでしょうねえ。
この話、用語的に難しいものは無いのですが、全体的に難しいです。。。
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