【ひとつ戻る】
やがて、少年が鯛をささげてやって来たので、用経は、
「よしよし、賢い子供だ。こうも早く、飛ぶように駆けて来たとは感心な奴」
と褒めて、届けさせた荒巻鯛を、おもむろに、まな板の上へ置いた。
そしていかにも大仰な態度で左右の袖をまくって、たすきを掛けるや、
片膝を立てて豪快に荒巻の縄を切って、
えいやと藁を広げてみれば、
中からはボロ草履、古靴、汚い靴下、破れ足袋のたぐいがばらばらとこぼれ落ちた。
「……」
これには、さすがに用経も面目なくて、
箸も包丁も投げ捨てて裸足のまま逃げ出すしかなかった。
当然、左京の大夫も客人もあきれ果てて、目も口もぽかんと空くばかり。
控えていた武士たちも互いの目を見交わして妙な顔付き。
飲めや食えやの宴会も、妙に冷めた空気になって、
一人、二人と帰って、みんないなくなってしまった。
左京の大夫は、このありさまに、
「何なのだ、あいつは。前々からおかしな奴だとは思っていたが、
挨拶に来たからには、追放するわけにも行かない。
だがあんな真似をされて、わしはどうしたら良いんだ。
感じの悪い奴は、ちょっとしたことでも、台無しにしてしまうんだ。
世間がこれを聞いて、わしはどれだけ笑いものになるか、知れたものではないわい!」
と、空を仰いで思いきり嘆いた。
さて用経の方は、馬を鞭打って、役所の倉庫へ全速力で駆けつけると、
倉庫番長の義澄へ詰め寄って、
「荒巻の鯛を渡すのが惜しかったなら、最初に言ってくれ! こんな真似をしやがって!」
と泣きべそをかいて恨み罵りまくった。
だが、義澄の方は、
「一体どういうことだ。荒巻の鯛ならちゃんと別に取り置きにしてから、
外出する前に部下へ、
『左京の大夫さまから荒巻を取りに来たら、渡してくれ』
と伝えたぞ?
それで戻ってきたときに見れば荒巻鯛が無くなっているので、
『鯛はどうしたかね』というと、
『例のお遣いが来たので、言われたとおりに渡しましたよ』
『ああ、そうか、それなら良い』
と答えたところだ。その後のことはちょっと分らぬが」
「じゃ、じゃあ、ちょっとその、渡すように言いつけた者を呼んでくれ!」
と、呼びつけようとする間に、台所係の人が出てきて、
「そういえば私が部屋にいたときに聞いたのですが、ここの若い衆が、
『そこの棚に荒巻鯛があるな。誰のものだ』
『あれなら左京大夫さまの配下のものだ』
『何だと? それならそれで、遊んでやれ』
と、吊してあったものをおろし、中の鯛をみんな切り身にして食べてしまい、
かわりにボロ草履にボロ靴、古靴下に足袋といったものを押し込むと
また棚のところへ戻して置いた――と、そんなふうに聞いた気がします」
などと話すものだから、用経はもうブチ切れて、さんざんに罵倒しまくるのだった。
だがこのことを聞いた人々は、
「かわいそうに……」
とは同情せず、ゲラゲラと笑いののしるだけだった。
用経は完全にうちひしがれて、こんな笑いものになってはもう表に出られないと、
長岡の自宅へ引きこもってしまい、左京の大夫の家にも訪れることは無くなったという。
原文
用経荒巻事(続き)
やりつる童、木の枝に荒巻二つ結ひつけて持て来たり。「いとかしこく、あはれ、飛ぶがごとく走りてまうで来たる童かな」とほめて、取りてまな板の上 にうち置きて、ことごとしく大鯛作らんやうに左右の袖つくろひ、くくりひき結ひ、片膝立て、今片膝伏せて、いみじくつきづきしくゐなして、荒巻の縄を押し切りて、刀して藁を押し開くに、ほろほろと物どもこぼれて落つるものは、平足駄、古尻切、古草鞋、古沓、かやうの物の限りあるに、用経あきれて、刀も真魚箸もうち捨てて、沓もはきあへず逃げて往ぬ。
左京の大夫(かみ)も客人もあきれて、目も口もあきてゐたり。前なる侍どももあさましくて、目を見かはしてゐなみゐたる顔ども、いとあやしげなり。物食ひ、酒飲みつる遊びも、みなすさまじくなりて、一人立ち、二人立ち、みな立ちて往ぬ。左京の大夫の曰く、「このをのこをば、かくえもいはぬ痴者狂 ひとは知りたつれども、司の大夫とて来睦びつれば、よしとは思はねど、追ふべき事もあらねば、さと見てあるに、かかわるわざをして謀らんをばいかがすべき。物悪しき人ははかなき事につけてもかかるなり。いかに世の人聞き伝へて、世の笑ひぐさにせんずらん」と、空を仰ぎて歎き給ふ事限りなし。
用経は馬に乗りて馳せ散して殿に参りて、贄殿預義澄(よしずみ)にあひて、「この荒巻をば惜しと思さば、おいらかに取り給ひてはあらで、かかる事し出で給へる」と泣きぬばかりに恨みののしる事限りなし。義澄曰く、「こはいかにのたまふことぞ。荒巻は奉りて後、あからさまに宿にまかりとつて、おのがをのこにいふやう、『左京の大夫の主のもとから荒巻取りにおこせたらば、取りてそれに取らせよ』といひおきてまかでて、只今帰り参りて見るに、荒巻なければ、『いづち往ぬるぞ』と問ふに、『しかじかの御使ひありつれば、のたまはせつるやうに取りて奉りつる』といひつれば、『さにこそはあなれ』と聞きてなん侍る。事のやうを知らず」といへば「さらばかひなくとも、言ひ預けつらん主を呼びて問ひ給へ」といへば、男を呼びて問はんとするに、出でて往にけり。膳部(かしはで)なる男がいふやう、「おのれが部屋に入りゐて聞きつれば、この若主(わかぬし)たちの『間木(まぎ)にささげられたる荒巻こそあれ。こは誰が置きたるぞ。何の料ぞ』と問ひつれば、誰にかありつらん、『左京の属(さくわん)の主のなり』といひつれば、『さては事にもあらず。すべきやうあり』とて取りおろして、鯛をばみな切り参りて、かはりに古尻切、平足駄などこそ入りて間木に置かる と聞き侍りつれ」と語れば、用経聞きて、叱りののしる事限りなし。この声聞きて、人々、「いとほし」とはいはで、笑ひののしる。用経しわびて、かく笑ひののしられん程は歩かじと思ひて、長岡の家に籠りゐたり。その後、左京の大夫の家にもえ行かずなりにけるとかや。
尻切れ
しきれ。底に革を張った草履。後世の雪駄のもとの形という――平足駄、古尻切、古草鞋、古沓はみんな、捨てる寸前の履物ですね。
鯛を切る作法
「包丁感謝祭」などで、今でも残るような、大仰な儀式ですね。
ここら辺で、その切り方の模様が見られます。1分20秒くらいから。この動画は、鯉ですが。
[3回]
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