今は昔、高忠という越前守がいた時のこと。
たいへん貧乏な家来がいて、昼も夜もまじめに勤めてはいたが、
真冬にも、薄い帷子(かたびら)などを着ているありさまだった。
雪がたいそう降ったある日のこと。
主人が身を清めるに際して、
この男が何かに取り憑かれたみたいに震えているのを見て、高忠は、
「歌を詠んでみよ。おもしろく降る雪ではないか」
と言う。
「何を題にいたしましょう」
「はだかだ、というところを詠み込め」
と命ぜられると、幾らもせず、震える声で詠み上げた。
はだかなる我が身にかかる白雪は 打ち振るえども消えせざりけり
――裸の我が身にふりかかる白雪のごとき白髪は、うち震えてみても消しようがありませぬ
と詠んだので、高忠はたいそう褒めて、着ていた衣を脱いで与えた。
奥方もあわれに感じて、まことに香り高い薄色の衣を与えたので、
家来は二つともいただき、輪のようにして畳むと、脇へ挟んで退出した。
そうして詰所へ戻れば、他の家来たちが見て、驚きまたあやしがって、尋ねるので、
これこれとのことで、と言うと、みな驚くやら感心するやらであった。
さてその後、この家来がいなくなったため、
不思議に思い、高忠が尋ねると、
彼は京都北山の尊い聖者のもとへ行き、拝領した着物を二つとも差し出して、
「齢も重なり、身の不幸は年々増しています。
今生のことは、もはや何らの利益も無い身となり、
あとは後生だけが、如何なるものになるかと思われます。
長く法師になろうと思っておりましたが、戒師へ差し上げるべきものが無いので、
今まで日々を過してきましたが、今このように思いがけぬものをいただき、
限りなく嬉しく、これをお布施に差し上げることができます」
と言って、
「どうか法師にしてくださいませ」
と、涙にむせかえり、泣く泣く訴えたのであった。
そして聖の方も、実に貴く思い、かれを法師にしたのである。
それ以降は、彼の行方も知れず、どこかへいなくなった。
居場所もわからないとのことである。
原文
高忠侍歌よむ事
今は昔、高忠といひける越前守の時に、いみじく不幸なりける侍の、夜書まめなるが、冬なれど、帷をなん着たりける。雪のいみじくふる日、この侍、きよめすとて、物のつきたるやうにふるふを見て、守、歌よめ、をかしうふる雪哉と申せば、「はだかなるよしをよめ」といふに、程もなくふるふ聲をさゝげてよみあぐ。
はだかなる我身にかゝる白雪は打ふるへどもきえせざりけり
と誦ければ、守、いみじくほめて、きたりける衣をぬぎてとらす。北方も哀がりて、薄色の衣のいみじう香ばしきをとらせたりければ、二ながら執て、かいわぐみて、脇にはさみて立ちさりぬ。侍に行たれば、ゐなみたる侍共みて、驚あやしがりて問けるに、かくと聞て、浅猿(あさまし)がりけり。
さて、此侍、其後みえざりければ、あやしがりて、守尋させければ、北山に貴き聖有けり、そこへ行て、此得たる衣を二ながらとらせて、云けるやう、「年まかり老ぬ。身の不幸、年を追ひて増る。此生の事は益もなき身に候めり。後生をだにいかでと覚て、法師にまかりならむと思侍れど、戒師に奉べき物の候はねば、今に過ぐし候つるに、かく思懸ぬ物を給たれば、限なくうれしく思給て、是を布施に参する也」とて、「法師に成せ給へ」と、涙にむせ返て、泣々云ければ、聖、いみじう貴て、法師になしてけり。
さて、そこより行方もなくて失にけり。在所しらずなりにけり。
適当訳者の呟き
出家するのにも金がかかるのですね。
高忠:
たかただ。Wikipedia越前守の一覧などに載ってないので、よく分かりません。
名前や前後の流れ的に、歌人源ノ公忠に関係あるかもしれませんが、さっぱり不明です。
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