今は昔、山陽道の美作国に、中山、高野という神がいた。
高野は大蛇、中山は猿丸の姿をしていて、
近隣の人々は、年ごとに必ず生け贄を捧げていた。
生け贄は、人間の娘の中でも髪が長く、色しろく、身なりも美しげに、
ことに愛らしい姿をした者を選び求めて、奉るのであって、
この祭は、昔から今に至るまで、怠ることはなかったのである。
さてまたこの年の祭に、ある人の娘が、生け贄に指名されたから、
親たちの泣き悲しむことは限りなかった。
そもそも人が親子となるのは、前世での契りによるのであってみれば、
つまらぬ子供でも疎ましいはずがない上に、まして、
万事うるわしい娘であってみれば、親は、我が身よりも可愛く思っていたのである。
しかし、逃れる方法とてなく、嘆きながら月日を過して、
次第に命が縮まって行く日々、
親子として相見ることが、あとどれだけできるかと日数を数えて、
明け暮れ、ただ泣きながら過していた。
そんな折。
板東武者で、狩りということをしている者が、やってきた。
猪などは、腹を立てた時など、実に恐ろしいものになるが、それさえ何物とも思わず、
彼は、心のまま殺し取り、これを食うことを仕事にしているのである。
体の力は実に強く、心も勇ましい。
そういう、凄いほどの荒くれ武者がちょうど辺りを巡るうち、
娘の両親のもとへやって来たのであった。
さまざまな話をするついでに、娘の父親が、
「わしのところにたった一人の娘がおりますが、
これこれの生け贄に指名されてしまいました。
前世にいかなる罪をつくったために、この地へ生まれて、
このような目に遭わなければならないのか。
娘も、『思いもよらず、あさましい死に方をすることになるとは』と申しており、
まことにあわれで、哀しく存じている次第。
娘はしかも、わしの子と思えないほどに、美しい容姿をしておりますのに」
そんな話に、この板東武者は、
「ではその娘は、今まさに死のうとしておられるのか。
だが人に命に勝るものは無いぞ。我が身のためにこそ、神は恐れるものだ。
今回、生け贄に出すことなく、その娘御を我輩に預けたまえ。
このまま死んでしまおうというのであろう。いかがか。
たった一人きりの娘御が、目の前で、生きながらなます斬りにされ、
腹を切り開かれて行くさまをご覧になろうというのか。馬鹿馬鹿しい。
生け贄に出すとは、それを見るのと同じことだぞ。その娘御を、我輩に預けたまえ」
そう言うので、両親は、娘を託したのである。
(つづく)
原文
吾妻人、生贄をとゞむる事
今は昔、山陽道美作國に、中山(ちゅうさん)、高野(かうや)と申神おはします。高野はきちなは、中山は猿丸にてなんおはする。その神、年ごとの姿に、かならず生贄を奉る。人のむすめのかたちよく、髪がながく、色しろく、 身なりをかしげに、姿らうたげなるをぞ、えらびもとめて、奉りける。昔より今にいたるまで、その祭おこたり侍らず。それに、ある人の女(むすめ)、生贄にさしあてられにけり。親ども泣きかなしむこと限なし。人の親子となることは、さきの世の契りなりければ、あやしきをだにも、おろかにやは思ふ。まして、よろづにめでたければ、身にも増りておろかならず思へども、さりとて、のがるべかなれば、なげきながら月日を過すほどに、やうやう命つゞまるを、親子とあひ見んこと、いまいくばくならずと思ふにつけて、日をかぞへて、明暮は、たゞねをのみ泣く。
かゝるほどにあづまの人の、狩といふ事をのみ役として、猪のしゝとおいふものの、腹だちしかりたるは、いとおそろしきものなり、それをだに、なにとも思たらず、心にまかせて、殺とりくふことを役とする者の、いみじう身の力つよく、心たけく、むくつけき荒武者の、おのづか ら出できて、そのわたりにたちめぐるほどに、この女の父母のもとに來にけり。
物語するついでに、女の父のいふやう、「おのれ、女のたゞひとり侍をなん、かうかうの生贄にさしあてられ侍けり。さきの世にいかなる罪をつくりて、この國に生まれてかゝる目をみ侍るらん。かの女子も、「心にもあらず、あさましき死をし侍りなんずるか な」と申。いとあはれにかなしう侍る也。さるは、おのれが女とも申さじ、いみじううつくしげに侍なり」といへば、あづまの 人「さてその人は、今は死たまひなんずる人にこそはおはすれ。人は命にまさることなし。身のためにこそ、神もおそろしけれ。この度の生贄を出さずして、その女君を、みづからにあづけ給ふべし。死給はんことにこそおはすれ。いかでか、たゞひとりもち奉り給へらん御女を、目の前に、いきながらなますにつくり、きりひろげさせては見給はん。ゆゝしかるべき事也。さるめ見給はんもおなじ事なり。たゞその君を我にあづけ給へ」とて、とらせつ。
適当役者の呟き
つづきますー!
「岩見重太郎の狒々退治」といった、講談の狒々退治ものの原型です。
高野と中山:
こうやとちゅうさん。でも大蛇の高野は出てきません。
ちなみに「今昔物語」にもある話でして、そちらでは、猿は、中参と書いてあります。
ちなみに、岡山県には今も、高野神社、中山神社というのがありまして、いずれも「延喜式」に記載された「式内社」。美作国の式内社は、この二つだけです。
ちなみおに高野神社は美作国二宮で、祭神は、鵜葺草葺不合命という、神武天皇のお父さん。
中山神社の方は、美作国の一宮で、鏡をつくっていた
鏡作尊という神様が主神。でも境内の奥の方に「猿神社」が祭られているみたいです。
あづまの人:
「今昔物語」では狩人ですが、武者の方がカッコイイので、そうしています。
読む限り、この時代の狩人と武者の境目はあいまいです。
ちなみに荒くれ者なので、一人称は「わがはい」にしています。
むくつけし:
ギリギリ理解できる死語かもしれません。むくつけき山賊、とか。
無骨で、荒々しくて、恐ろしくて、気味悪いほどのことを言います。要するに、毛むくじゃら、服もぼろぼろ、体臭きつい、ゴリラみたいな奴をイメージすれば良いですね。
[11回]
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