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さて、谷間の鷹匠。
鷹を飼い慣らすことで世を送ってはいたが、
幼い頃から観音経をよく読み、また教典を家に保管していたため、
「助けたまえ」
と、ひとえに願いを込めて、
このお経の文句を、夜も昼も、何度も何度も読み続けていた。
そうして、経文のうち、
「弘誓深如海」
の辺を読んだころ、
谷の底の方から、何ものかがそよそよと迫り来る気配がしたから、
何ごと――と見れば、
それは、何とも言いようのないほど大きな、大蛇であった。
長さは二丈ほどつまり、6メートルほどもある巨大な蛇が、
こちらへまっしぐらに向ってくるものだから、
「私はあの蛇に食われてしまうのだ」
と思い、
「悲しいことだ。観音様に、どうか助けたまえと念じていたのに、一体どうしたことか」
と、それでも、なお念じていると、大蛇はまっすぐにこちらへ向ってきて、
鷹匠の膝近くを通り過ぎたが、別に彼を食べようともしない。
ただまっすぐ、谷から上へと這い上って行く様子。
「これはどうしたことか。だが、この大蛇に取りすがれば、上へ行けるのではないか」
と思い、腰の刀をそっと抜くや大蛇の背中へ突き立てて、
それにすがったところ、大蛇が進むまま上へ引かれて、
とうとう谷岸へとよじのぼることが出来たのであった。
鷹匠は、大蛇より離れる際、刀を引き抜こうとしたが、
あまりに強く突き立てたため、どうしても抜けない。
と、そうこうしているうちに、大蛇は鷹匠から離れて、背に刀を差されたまま、
向いの谷へと渡っていった。
ともかくも、鷹匠は喜んで急いで家に帰ろうとしたが、
この二三日の間、少しも体を動かさず、ものも食わずに過ごしていたため、
影のようにやせ細ってしまい、ようやくのことで自分の屋敷へたどり着いた。
屋敷では、
「主人も亡くなり、これからどうしたら良いのか……」
と、供養のための仏事などを行っていたところへ、思いもかけず、
鷹匠がよろよろと入ってきたから、驚き、泣き騒ぐこと限りなかった。
鷹匠は、これこれだと語り、
「観音のお助けで、このように生きている」
と驚くべきことを涙ながらに語り、たくさんのものを食べて、
その夜はぐっすりと休んだのであった。
翌朝。
早くに起き出した鷹匠は、手を洗い、いつも読んでいる観音経を読もうと、
教典を開けたところ、谷の中で、蛇の背に突き立てた小刀が、
教典の「弘誓深如海」部分へ突き立てられていたから、
一同、驚いたというものではなかった。
「この経文が、蛇に変じて、私をお助けくださったのだ」
と思うにつけ、まことに尊く、すばらしく、ありがたいと思うこと限りなかった。
近隣の人々もこれを聞き、拝みにきたという。
今さら言うことではないが、
観音へ心からお頼み申せば、その甲斐が無いということは無いのである。
原文
観音経、化蛇輔人給事(つづき)
かく鷹飼を役にて世をすぐせど、おさなくより観音経を読奉り、たもち奉りたりければ、「助給へ」と思て、ひとへに憑奉りて、此経を夜昼、いくらともなく読み奉る。「弘誓深如海(ぐぜいしんにょかい)」とあるわたりを読む程に、谷の底の方より、物のそよそよと来る心地のすれば、何にかあらんと思て、やをら見れば、えもいはず大きなる蛇なりけり。長さ二丈斗もあるらんと見ゆるが、さしにさしてはひ来れば、「我は此蛇に食はれなんずるなめり。」と、「かなしきわざかな。観音助給へとこそ思ひつれ。こはいかにしつる事ぞ」と思て、念じ入てある程に、たゞ来に来て我ひざのもとをすぐれど、我を呑まんとさらにせず。たゞ谷よりうへざまへのぼらんとする気色なれば、「いかゞせん。たゞこれに取付たらば、のぼりなんかし」と思ふ心つきて、腰の刀をやはらぬきて、此蛇のせなかにつきたてて、それにすがりて、蛇の行ままにひかれてゆけば、谷より岸のうへざまに、こそこそとのぼりぬ。
その折、此男離れてのくに、刀をとらんとすれど、強く突きたてにければ、え抜かぬ程に、ひきはづして、背に刀さしながら、蛇はこそろとわたりて、むかひの谷にわたりぬ。此男、うれしと思ひて、家へいそぎて行かんとすれど、此二三日、いさゝか身をもはたらかさず、物も食はずすごしたれば、影のやうにやせさらぼひつゝ、かつがつと、やうやうにして家に行つきぬ。
さて、家には、「今はいかゞせん」とて、跡とふべき経仏のいとなみなどしけるに、かく思ひかけず、よろぼひ来たれば、おどろき泣さはぐ事かぎりなし。かうかうのことも語りて、「観音の御たすけとて、かく生きたるぞ」とあさましかりつる事ども、泣泣語りて、物など食ひて、その夜はやすみて、つとめて、とく起きて、手洗ひて、いつも読み奉る経を読んとて、引あけたれば、あの谷にて蛇の背につきたてし刀、此御経に「弘誓深如海」の所に立たる見るに、いとあさましきなどはおろかなり。「こは、此経の、蛇に変じて、我をたすけおはしましけり」と思ふに、あはれにたうとく、かなし、いみじと思ふ事かぎりなし。そのあたりの人々、これを聞きて、見あさみけり。
今さら申べき事ならねど、観音をたのみ奉んに、そのしるしなしといふ事はあるまじき事也。
適当訳者の呟き:
影のように痩せさらばう――という表現が、まことにおもしろいと思いました。
弘誓深如海
ぐぜいしんにょかい。
もうちょっと、この前後を検索すると、「汝聴観音行。善応諸方所。弘誓深如海。歴劫不思議。侍多千億仏。発大清浄願 」となるみたいです。
「汝聴け、観音の行は、善く諸の方所に応ず。
弘誓の深きこと海の如く、歴劫にも思議せられず、多くの千億の仏に侍えて、大清浄の願を発せり」
弘誓というのは、衆生を救おうとしてたてた菩薩の誓願。
人知れず谷底で死にそうになっていても、海のように深い誓願を立てられた観音様は必ず助けてくれる――となるので、これまたわかりやすいです。
この辺でも、やっぱり、論理的なお坊さんが書いた話だなあと思わせます。
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