これも今は昔、白河法皇が鳥羽殿にいらした折のこと。
北面の武士たちに、
「受領が任地へ赴くときの恰好をさせて、ご覧に入れるべし」
と命令があったので、玄蕃頭・久孝という者を受領役にして衣冠に着物を整え、
他の五位の者どもは前駆、兵衛府の者たちは弓隊などと仮装して、
ご覧にいれることにした。
おのおの錦や唐綾で着飾り、ほかに負けじとしている中で、
左衛門尉・源行遠という者は、とくに意気込みすごく、
「前もって人に見られては、珍しさが無くなるから」
と、御所に近い人の家へ入って、従者を呼ぶと、
「おい、御所付近の様子を見て来い」
と見に行かせた。
が、その従者がいつまでも帰って来ないので、
「どうしてこう遅いのだ」
例の催しは、朝の辰刻に始まり、ずっとやっているとはいえ、
遅くとも昼の午や未の刻には参上しなければいけないのに、
と待ち構えていると、ようやく門の方から声がして、
「いやあ、すばらしい見物でした、すばらしい見物でした」
と言っている。
それで、こちらがいつ登場するべきか、しおどきを伝えて来るかと思えば、
「玄蕃殿の国司姿は、すごいものでした」
と言い、さらに、
「藤左衛門殿は錦をお召しになっていました。源兵衛殿は金の綾を縫つけて」
などと話し込むばかり。
不安に感じて、
「おい」
と呼べば、この「見て来い」と命じた男は笑顔でやって来て、
「何とも、あれほどの見物はほかにございません。賀茂祭が何でもないほどです。
院の御桟敷へ向って人々が行列するさまは、まったく、目が追いつかないくらいでしたよ」
と言う。
「それで、頃合いはどうだ」
と尋ねると、
「もう終りましたよ」
と答える。
「ど、どういうことだ。なぜその前に来て告げない」
「それはどういう意味でございましょう? 『見に行け』と仰せになるので、
目を凝らして、よく見てきたのでござりますが」
そう答えたから、行遠はもう言葉がなくなってしまった。
一方、法皇の側では、
「行遠が参らぬ。返す返すも不審なことじゃ。まちがいなく奴は押し込めにせよ」
と仰せがあり、行遠は二十日ほども謹慎させられたが、
やがて、ことの次第が明らかになると法皇もお笑いになり、
押し込めも許されたという。
原文
白河法皇北面受領の下りのまねの事
これも今は昔、白河法皇、鳥羽殿におはしましける時、北面の者どもに、受領の国へ下るまねさせて、御覧あるべしとて、玄審頭久孝(げんばのかみひさたか)といふ者をなして、衣冠に衣出して、その外の五位どもをば前駆せさせ、衛府どもをば、胡録(やなぐひ)負ひにして御覧あるべしとして、おのおの錦、唐綾(からあや)を着て、劣らじとしけるに、左衛門尉字(さゑもんのじょう)源行遠、心殊に出で立ちて、「人にかねて見えなば、めなれぬべし」とて、御前近かりける人の家に入り居て、従者を呼びて、「やうれ、御前の辺にて見て来」と、見て参らせてけり。
無期に見えざりければ、「いかにかうは遅きにか」と、辰の時とこそ催はありしか、さがるといふ定、午未の時には、渡らんずらんものをと思ひて、待ち居たるに、門の方に声して、「あはれ、ゆゆしかりつるものかなゆゆしかりつるものかな」といへども、ただ参るものをいふらんと思ふ程に、「玄蕃殿の国司姿こそ、をかしかりつれ」といふ。「藤左衛門殿は錦を着給ひつ。源兵衛殿は縫物をして、金の文をつけて」など語る。
怪しう覚えて、「やうれ」と呼べば、この「見て来」とてやりつる男、笑みて出で来て、「大方かばかりの見物候はず。賀茂祭も物にても候はず。院の御桟敷の方へ、渡しあひ給ひたりつるさまは、目も及び候はず」といふ。「さていかに」といへば、「早う果て候ひぬ」といふ。「こはいかに、来ては告げぬぞ」といへば、「こはいかなる事にか候らん。『参りて見て来』と仰せ候へば、目もたたかず、よく見て候ぞかし」といふ。大方とかくいふばかりなし。
さる程に、「行遠は進奉不参(しんぶふさん)、返す返す奇怪なり。たしかに召し籠めよ」と仰せ下されて、廿日余り候ひける程に、この次第を聞し召して、笑はせおはしましてぞ、召し籠めはゆりてけるとか。
適当訳者の呟き
久しぶりの馬鹿話。
この時代、「受領の出立式」というような感じで、華やかな行列があったのですね。
後世、江戸の街では派手やかな大名行列を見物する人が割と多かったようですが、そんな感じかもしれません。
白河法皇:
有名な、山法師と賀茂川とサイコロ以外は、思い通りになったという法皇さまですね。院政、院政。
こんなことが出来てしまうくらい、権力があったのです。
玄審頭久孝:
げんばのかみ、ひさたか。不明。
玄蕃寮は、仏寺、僧尼、外国人を担当していたお役所です。
受領:
ずりょう。国司のトップ。通常は、ナントカの守。
定められた税金を納めた残りは全部自分のふところに入れることができるので、受領は金持ちです。本来の任期は3年とか4年ですが、院へ金を納めることで、何年も、何代も歴任して、さらに肥え太って行きます。
受領が、白河院などへお金を献上し、意気揚々と任地へ行くとき、こんなふうに、ど派手な演出をしていたのですね。
辰の時:
午前8時くらい。遠くへ行くのですから、朝はけっこう早いですね。
午、未:
正午=昼12時。未は14時ごろ。
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