越前国の敦賀というところに、とある夫婦が住んでいて、
どうにかこうにか、ひと家族、満足できるだけの生活を送っていた。
この二人の間に娘が一人いて、ほかの子は無かったから、
この娘をかけがえのないものとして、たいへんかわいがっていた。
やがて二人はこの娘を、自分たちの存命中に何とかしておこうと、婿をとった。
が、男は何としても耐えることができず、
その後もあれこれ四五人も婿をとったものの、どうしても居着いてくれなかったため、
そのうち、とうとうあきらめてしまった。
かわりに屋敷のうしろへお堂を建てて、
「我が娘を助けてください」
と、観音様を据えて、ねんごろに供養するなどしていた。
やがて、父親が亡くなった。
それだけでも嘆かわしかったが、引き続くように母親も亡くなってしまったため、
娘は泣き悲しんだものの、もはやどうすることもできなかった。
両親の死後、残された娘は、頼りにできる人も無かったから、
さまざま工面をして日々過していたが、
やはり夫の無い女一人。
どうしても、はかばかしいことになりはしなかった。
親の遺産が少しあるうちは、召し使う者も四五人あったが、
それが無くなってしまえば、召し使いは一人も残らない。
やがて物を食べることさえ難しくなり、
何とか食材が手に入った折、自ら調理して食べると、
「両親の願いの功徳で、どうか、わたくしを救って下さい」
観音に向って、泣く泣く申し上げ続けた。
やがて娘の夢に、家の後ろのお堂から一人の老僧が出てきて、
「まことに哀れに思うゆえ、婿をとらせようと思う。
今呼びにやったゆえ、明日まちがいなくここへ来るであろう。
かれの言うに従うが良い」
そう告げたと思うと、娘は夢から覚めた。
これこそ観音が自分を救ってくれる知らせだと、
娘は水を浴び、体を浄めてお堂に参ると、涙を流してその計らいに感謝し、
あとは夢のお告げを頼みに、その人を待つべく、家の中を掃き掃除などして過した。
家は広く作ってあったため、両親の死後、娘は屋敷の片隅に起居していたが、
すでに客間に敷くむしろさえ無いありさまであった。
そのうち、夕方になった。
馬の足音が聞こえて、大勢の人がやって来るので、
のぞき見れば旅人の一団が、娘の屋敷に宿を借りに来たところであった。
「どうぞ、お入りなさい」
と言うと、全員入ってきて、
「ここは良い場所だ。屋敷も広々としておるし、
『どうですかな』などと、うるさく言ってくる男主人もいない。
我らの思うままに過ごせるぞ」
などと喋っている。
(つづき)
原文
越前敦賀の女、観音たすけ給ふ事
越前の国に敦賀といふ所にすみける人ありけり。とかくして、身ひとつばかり、わびしからで過しけり。女(むすめ)ひとりより外に、叉子もなかりければ、このむすめぞ、叉なき物に、かなしくしける。この女を、わがあらん折、たのもしく見置かんとて、男あはせけれど、男もたまらざりければ、これやこれやと、四五人まではあはせけれども、猶たまらざりければ、しゐて、のちにはあはせざりけり。ゐたる家のうしろに、堂をたてて、「この女たすけ給へ」とて、観音を据ゑ奉りける。供養し奉りなどして、いくばくも経ぬ程に、父うせにけり。それだに思ひなげくに、引つゞくやうに、母もうせにければ、泣きかなしめども、いふかひもなし。
しる所などもなくて、かまへて世をすぐしければ、やもめなる女ひとりあらむには、いかにしてか、はかばかしきことあらん。親の物のすこし有ける程は、つかはるゝ者、四五人ありけれども、物うせはててければ、つかはるゝ者、ひとりもなかりけり。物くふこと難くなりなどして、おのずから求めいでたる折は、手づからいふばかりにして食ひては、「我親の思しかひありて、たすけ給へ」と、観音にむかひ奉て、なくなく申ゐたる程に、夢にみるやう、このうしろの堂より、老たる僧の来て、「いみじういとほしければ、男あはせんと思て、よびにやりたれば、あすぞこゝに来つかんずる。それがいはんにしたがひてあるべきなり」と、のたまふとみて、さめぬ。此仏の、たすけ給べきなめりと思ひて、水うちあみて、参りて、なくなく申て、夢をたのみて、その人を待とて、うち掃きなどしてゐたり。家は大きにつくりたりければ、親うせて後は、すにつき、あるべかしき事なけれど、屋ばかりは大きなりたければ、かたすみにぞゐたりける。敷くべきむしろだになかりけり。
かゝるほどに、その日の夕がたになりて、馬の足音どもして、あまた入くるに、人どものぞきなどするをみれば、旅人のやどかるなりけり。「すみやかに居よ」といへば、みな入きて「こゝよかりけり。家ひろし。いかにぞやなど、物云べきあるじもなくて、我まゝにもやどりいるかな」といひあたり。
適当訳者の呟き:
長いので四分割しますー。
四五人の婿たちが逃げ出した理由が知りたいものです。。。
[2回]
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