昔、唐の国に、宝志和尚という聖がいた。
まことに尊い僧侶であったため、時の皇帝が、
「かの聖者の姿を描かせよう」
と、絵師三名を派遣することを決められ、
「もし一人だけであれば、描き損なうこともあるだろうから」
と、三人で直接、面会して描き写すようにと細かく指示された。
そして三人が皇帝からの命令と、今回の訪問の理由を伝えると、聖は、
「しばしお待ちあれ」
と言って、やがて法師の装束を着て出てきた。
三人がそれぞれ絵を描く絹を広げて、並んで筆を下ろそうとしたところ、
聖が、
「今しばらくお待ちなさい。我がまことの姿があるゆえ、それを見て描き写すと良い」
と言うので、絵師たちが手を止めて聖の姿を見ていると、
聖は親指の爪で額の皮を裂いて、皮をそのまま左右へ開いたと思うと、
割れた額の中から金色の菩薩が、顔を差し出したのである。
これを一人の絵師は十一面観音と見、また一人は聖観音と見た。
絵師たちはそれぞれが見るままに写しとり、持ち帰ると、
皇帝は驚き、直ちに別の遣いを派遣したが、聖はかき消えたようにいなくなっていた。
これにより人々は、
「ただの人間ではなかった」
と噂し合ったという。
原文
宝志和尚影事
昔、もろこしに宝志和尚といふ聖(ひじり)有。いみじく尊くおはしければ、御門「かの聖のすがたを、影(えい)に書き とらん」とて、絵師三人をつかはして、「もし一人しては、書たがゆる事もあり」とて、三人して、面々にうつすべきよし、仰ふくめられて、つかはさせ給に、三人の絵師、聖のもとへ参りて、かく宣旨を蒙てまうでたるよし申ければ、「しばし」といひて、法服の装束して出あひ給へるを、三人の絵師、おのおの書くべき絹をひろげて、三人ならびて筆をくださんとするに、聖「しばらく。我まことの影あり。それを見て書きうつすべ し」とありければ、絵師、左右なく書かずして、聖の御影をみれば、大ゆびのつめにて、額の皮をさしきりて、皮を左右へ引きのけてあるより、金色の菩薩の、かほをさし出たり。一人の絵師は、十一面観音とみる。一人の絵師は、聖観音とおがみ奉りける。おのおの見るまゝにうつし奉りて、持て参りたりければ、御門おどろき給て、別の使を給て、問はせ給ふに、かい消つやうにして失せ給ひぬ。それよりぞ「たゞ人にてはおはせざりけり」と申あへりける。
適当訳者の呟き
不思議な聖者ですね。
宝志和尚
ほうし。宝誌、保誌。(418-514年)
中国の南朝において活躍した神異・風狂の僧。昔から有名な「おかしな僧侶」の代表みたいな人で、剃髪しているのに常に帽子を被っており、ボロを着て、三世を見通す神通力、各種の予言をした……そうです。
ちなみに京都の西往寺という寺には、平安時代作の、この和尚さんの木造があるそうで(京都国立博物館寄託)、これがその写真。どん。
表徴の帝国
ちなみに、太平記などに出てきて「天皇が百代に達したので、もうこの国は終る」といった、終末論の根拠のひとつ「野馬台詩」というものの作者が、この宝志和尚だとされています。ノストラダムス的扱い。
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