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宇治拾遺物語 現代語訳ブログ

中世日本の説話物語集「宇治拾遺物語」を現代語にして行く適当な個人ブログです。
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講談社主催 第4回「決戦! 小説大賞」受賞しました。
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わたくし版「宇治拾遺物語現代語訳」第10巻を発売しました。(2015/08/21 記事更新)
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全話完訳を喜んで、あたくしのKDP小説無料キャンペーンやります! 詳細はホームページに。(2013/10/16)
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【宇治拾遺物語 総目次】 【このブログについて】
  
わたくし版現代語訳 目次
第一巻
(序) 宇治拾遺物語について
(1) 道命阿闍梨読経し五條道祖神聴聞する事
(2) 丹波国篠村、平茸のこと
(3) 鬼にこぶとらるる事(前半)(後半)
(4) 伴大納言の事
(5) 隨求陀羅尼を額に籠める法師の事
(6) 玉茎検知のこと
(7) 鹿の身代わり
(8) 易の占、金取出す事
(9) 宇治殿倒れさせ給いて実相房僧正験者に召るる事
(10) 秦兼久、通俊卿に向いて悪口の事
(11) 一生不犯僧
(12) 児のかいもちひするに空寝したる事
(13) 田舎児桜散みて泣く事
(14) 小藤太、婿におどさる
(15) 大童子鮭ぬすみたる事
(16) 尼、地蔵を見奉る事
(17) 修行者、百鬼夜行に遭うこと
(18) 利仁芋粥の事 (上) (中) (下)
休題閑話 第一巻の適当訳後記

第二巻
(19) 清徳聖、奇特の事
(20) 静観僧正祈る、雨を法験の事
(21) 静観僧正、大嶽の岩祈り失ふ事
(22) 金峰山の金箔打ち
(23) 紀用経の荒巻鯛 (前半) (後半)
(24) 厚行、死人を家より出すこと
(25) 鼻長僧の事(前半) (後半)
(26) 晴明、蔵人少将を封ずる事
(27) 季通、災いに遭はむとする事(前半) (後半)
(28) 袴垂、保昌に会う事
(29) あきひら欲合殃事
(30) 唐卒都婆、血つく事
(31) 成村、強力の学士に会う事
(32) 柿の木に仏現ずる事
休題閑話 第二巻の適当訳後記

第三巻
(33) 大太郎盗人事(前半) (後半)
(34) 藤大納言忠家物言女、放屁の事
(35) 小式部内侍定頼卿の経にめでたる事
(36) 山ぶし舟祈返事
(37) 鳥羽僧正与国俊たはぶれ(前半) (後半)
(38) 絵仏師良秀家の焼をみてよろこぶこと
(39) 虎の鰐取たる事
(40) 樵夫、歌の事
(41) 伯母の事(前半) (後半)
(42) 同人仏事事
(43) 藤六の事
(44) 多田しんぼち郎等事
(45) いなばの国別当地蔵作さす事
(46) 臥見修理大夫俊綱事
(47) 長門前司女さうそうの時本所にかへる事
(48) 雀報恩事(上) (中) (下)
(46) 小野篁、広才の事
(50) 平貞文・本院侍従事(前半) (後半)
(51) 一条摂政歌事
(52) 狐家に火つくる事
休題閑話 第三巻の適当訳後記

第四巻
(53) 狐人につきてしとぎ食う事
(54) 左渡国に金ある事
(55) 薬師寺別富事
(56) 妹背嶋の事
(57) 石橋の下の蛇の事(前半) (後半)
(58) 東北院の菩提講の聖の事
(59) 三川の入道遁世の事(前半) (後半)
(60) 進命婦清水寺参事
(61) 業遠朝臣蘇生の事
(62) 篤昌忠恒等の事
(63) 後朱雀院丈六の佛作り奉り給ふ事
(64) 式部大輔実重賀茂の御正体拝み奉る事
(65) 智海法印癩人法談の事
(66) 白河院おそはれ給ふ事
(67) 永超僧都魚食ふ事
(68) 了延に実因湖水の中より法文の事
(69) 慈恵僧正戒壇築かれたる事
休題閑話 第四巻の適当訳後記

第五巻

(70) 四宮河原地蔵の事
(71) 伏見修理大夫の許へ殿上人ども行き向う事
(72) 以長、物忌の事
(73) 範久阿闍梨、西方を後にせぬ事
(74) 陪従家綱行綱、互ひに謀りたる事(前半) (後半)
(75) 同清仲の事
(76) 仮名暦あつらへたる事
(77) 実子にあらざる子の事(前半) (後半)
(78) 御室戸僧正事、一乗寺事(前半) (後半)
(79) ある僧人の許にて氷魚盗み食ひたる事
(80) 仲胤僧都、地主權現説法の事
(81) 大二条殿に小式部内侍歌読みかけ奉る事
(82) 山横川賀能地蔵の事
休題閑話 第五巻の適当訳後記

第六巻

(83) 広貴、炎魔王宮へ召る事
(84) 世尊寺に死人掘出す事
(85) 留志長者の事(前半) (後半)
(86) 清水寺に二千度参詣する者、双六に打入るる事
(87) 観音経、蛇に化して人輔け給う事(前半) (後半)
(88) 賀茂社より御幣紙米等給う事
(89) 信濃国筑摩湯に観音沐浴の事
(90) 帽子の叟、孔子と問答の事
(91) 僧伽多、羅刹国に行く事(上) (中) (下)
休題閑話 第六巻の適当訳後記

第七巻
(93) 五色の鹿の事(前半)(後半)
(93) 播磨守爲家の侍の事(前半)(後半)
(93) 三條の中納言水飯の事
(94) 検非違使、忠明の事
(95) 長谷寺参籠の男、利生に預る事
(96) 小野宮大饗の事、西宮殿富子路の大臣大饗の事(上)(中)(下)
(97) 式成、満、則員等三人滝口、弓芸の事
休題閑話 第七巻の適当訳後記

第八巻
(99) 大膳大夫以長、先駆の間の事
(100) 下野武正、大風雨日、参法性寺殿事
(101) 信濃国の聖の事(上)(中)(下)
(102) 敏行の朝臣の事(上)(中)(下)
(103) 東大寺華厳会の事
(104) 猟師仏を射る事
(105) 千手院僧正仙人
休題閑話 第八巻の適当訳後記

第九巻
(106) 滝口道則、術を習う事(上)(下)
(107) 宝志和尚、影の事
(108) 越前敦賀の女、観音たすけ給ふ事(1) (2)(3) (4)
(109) くうすけが佛供養の事(上) (中)(下)
(110) 恒正が郎等佛供養の事(上)(下)
(111) 歌よみて罪をゆるさるる事
(112) 大安寺別當女に嫁する男、夢見る事
(113) 博打聟入の事
休題閑話 第九巻の適当訳後記
 
第十巻
(114) 伴大納言応天門を焼く事(上)(下)
(115) 放鷹楽明暹に是季がならふ事
(116) 堀河院明暹に笛ふかさせ給ふ事
(117) 浄蔵が八坂坊に強盗入る事
(118) 播磨守定輔が事(上)(下)
(119) 吾妻人生贄を止むる事(1)(2)(3)(4)
(120) 豊前王の事
(121) 蔵人頓死の事
(122) 小槻当平の事
(123) 海賊発心出家の事(上)(中)(下)
休題閑話 第十巻の適当訳後記
 
第十一巻
(124) 青常の事(上)(下)
(125) 保輔盗人たる事
(126) 晴明を心みる僧の事
(127) 晴明蛙を殺す事
(128) 河内守頼信平忠恒をせむる事(上)(下)
(129) 白河法皇北面受領の下りのまねの事
(130) 蔵人得業猿沢池の竜の事
(131) 清水寺御帳たまはる女の事
(132) 則光盗人をきる事(上)(上)
(133) 空入水したる僧の事
(134) 日蔵上人吉野山にて鬼に逢ふ事
(135) 丹後守保昌下向の時致経父に逢ふ事
(136) 出家功徳の事

休題閑話 「今は昔」について
 
第十二巻
(137) 達磨天竺の僧の行を見る事
(138) 提婆菩薩竜樹菩薩の許に参る事
(139) 慈恵僧正受戒の日を延引する事
(140) 内記上人法師陰陽師の紙冠を破る事
(141) 持経者叡実効験の事
(142) 空也上人臂観音院僧正祈りなほす事
(143) 僧賀上人三条の宮に参り振舞の事
(144) 聖宝僧正一条大路をわたる事
(145) 穀断の聖不実露顕の事
(146) 季直少将歌の事
(147) 樵夫小童隠題歌よむ事
(148) 高忠侍歌よむ事
(149) 貫之歌の事
(150) 東人歌の事
(151) 河原院に融公の霊住む事
(152) 八歳童孔子と問答の事
(153) 鄭太尉の事
(154) 貧俗仏性を観じて富める事
(155) 宗行郎等虎を射る事(上)(下)
(156) 遣唐使の子虎に食はるる事


第十三巻
(161) 上緒の主金を得る事
(162) 元輔落馬の事
(163) 俊宣迷神にあふ事
(164) 亀を買ひてはなす事
(165) 夢買ふ人の事
(166) 大井光遠の妹強力の事
(167) 或唐人、女のひつじに生れたる知らずして殺す事
(168) 出雲寺別当の鯰になりたるを知りながら殺して食ふ事
(169) 念仏の僧魔往生の事
(170) 慈覚大師纐纈城に入り給ふ事
(171) 渡天の僧穴に入る事
(172) 寂昭上人鉢をとばす事
(173) 清滝川聖の事
(174) 優婆崛多弟子の事

休題閑話 第十三巻の適当訳後期


第十四巻
(175) 海雲比丘弟子童の事
(176) 寛朝僧正勇力の事
(177) 頼経蛇に逢ふ事
(178) 魚養の事
(179) 新羅国の后金榻の事
(180) 珠の価量り無き事
(181) 北面女雑使六の事
(182) 仲胤僧都連歌の事
(183) 大将つつしみの事
(184) 御堂関白御犬晴明等きどくの事
(185) 高階俊平が弟入道算術の事

休題閑話 第十四巻の適当訳後期


第十五巻
(186) 清見原天皇大友皇子と合戦の事
(187) 頼時が胡人見たる事
(188) 賀茂祭のかへり武正兼行御覧の事
(189) 門部府生海賊射かへす事
(190) 土佐の判官代通清、人たがひして関白殿に逢ひ奉る事
(191) 極楽寺僧仁王経を施す事
(192) 伊良縁の世恒毘沙門御下文の事
(193) 相応和尚都卒天にのぼる事附染殿の后祈り奉る事(上)(下)
(194) 仁戒上人往生の事
(195) 秦始皇天竺より来たる僧禁獄の事
(196) 後の千金の事
(197) 盗跖孔子と問答の事

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 今は昔、
 海雲比丘が道を歩いていると、十歳くらいの男の子に行き会った。
「どういう子供だね」
 比丘が尋ねると、男の子が答えていうには、
「ただ道を行く者です」
 という。

 比丘が、
「おまえは法華経を読むか」
 というと、
「法華経というものは、未だ名前も聞いたことがありません」
 と答える。

 比丘が、
「それではわしの宿坊へ一緒に参れ。法華経を教えよう」
 というと、
「仰るとおりにいたします」
 と言って、比丘とともに五台山の坊舎へやって来て、法華経を習うことになった。

 さて、この男の子が経文を習ううち、小坊主が来て、かれこれお話をして行く。
 誰だかは分らない。
 比丘が、
「毎度ここへやって来る小さな大徳を、おまえは知っているかね」
 と尋ねると、男の子は、
「知りません」
 と言う。

 比丘は、
「あれこそ、この山に住まわれる文殊菩薩だ。
 わしに何かお話をするために、お越しになるのだよ」
 そのように教えたが、男の子の方は、文殊というものを知らないので、
 何とも思うことはなかった。

 比丘はまた、男の子へ、
「おまえは、決して女人に近づいてはならぬ。
 周りの人を遠ざけて、女人に馴れ親しんではならぬよ」
 と言い聞かせた。

 さて、またあるとき。
 この男の子がお遣いに行く途中、
 葦毛の馬に乗った、化粧をして実に美しい女に行き会った。

 この女が言うには、
「おまえ、この馬の口を取って、引いてくれ。
 道がたいへんに悪くて、落ちそうになるから」
 だが、男の子は耳にも聞き入れずに行き過ぎたところ、
 馬が荒立って、女は逆さまに落ちてしまった。

 女は男の子へ恨みを向けながら、
「わたしを助けて。もう死ぬかもしれない」
 と言ったが、男の子は決して耳に入れなかった。
 師匠が、女人を傍らに寄せてはならないと言ったことを思い続け、
 五台山へ帰ると、師匠へ女との様子を語って、
「けれども私は耳にも入れず、帰ってきました」
 と告げれば、
「よく出来た。その女は文殊が化けて、おまえの心を見ようとしたのだろう」
 と、褒めた。


(つづく)


原文
海雲比丘の弟子童の事
今は昔、海雲比丘、道を行給に、十餘歳斗なる童子、みちにあひぬ。比丘、童に問て云、「何の料の童ぞ」とのたまふ。童答云、「たゞ道まかる者にて候」といふ。比丘云、「なんぢは法華經はよみたりや」ととへば、童云、「法華經と申らん物こそ、いまだ名をだにも聞き候はね」と申。比丘又いふ、「さらば我房に具して行て、法華經教へん」とのたまへば、童「仰にしたがふべし」と申て、比丘の御供に行。五臺山の坊に行きつきて、法華經を教へ給。
經を習ほどに、小僧常に來て物語を申。たれ人としらず。比丘ののたまふ、「つねに來る小大徳をば、童はしりたりや」と。童「しらず」と申。比丘の云、是こそ此山に住給文殊よ。我に物語しに來給也」と。かうやうに教へ給へども、童は文殊と云事もしらず候なり。されば、何とも思奉らず。比丘、童にのたまふ、「汝、ゆめゆめ女人に近づくことなかれ。あたりを拂て、なるなることなかれ」と。童、物へ行ほどに、葦毛なる馬に乗たる女人の、いみじく假粧してうつくしきが、道にあひぬ。この女の云、「われ、この馬のくち引きてたべ。道のゆゝしくあしくて、落ちぬべくおぼゆるに」といひけれども、童、みゝにも聞きいれずして行に、この馬あらだちて、女さかさまに落ちぬ。恨て云、「われを助よ。すでに死べくおぼゆるなり」といひけれども、猶みゝに聞入ず。我師の、女人のかたはらへよることなかれとのたまひしにと思て、五臺山へかへりて、女のありつるやうを比丘にかたり申て、「されども、みゝにも聞きいれずして歸ぬ」と申ければ、「いみじくしたり。その女は、文殊の化して、なんぢが心を見給にこそあるなれ」とて、ほめ給ける。



適当訳者の呟き:
前の話の続きになるのでしょうか。女は見殺しにするのが正しい、というわけですね。。。
そんな菩薩はいやです。
つづきますー。

海雲比丘:
かいうんびく。唐の時代に、文殊菩薩の家、五台山に住んでいたみたいですが、よく分りません。

ちなみに、この海雲さんのオリジナルだと思われる海雲比丘は、3世紀頃成立した華厳経の「入法界品」に登場します。海をひたすら見つめること12年で悟りを得ました。(大海の無量無辺のところで思案していたみたいです)
善財童子という、金持ちの男の子が出家を決意、文殊菩薩に導かれ、旅を続けながら53人の達人に出会い、知識を深めて最終的に悟りへ至る……という物語の、おそらく後半に出てきます。
ついでながら、この「53箇所を巡って、悟りに至る」というのが、「東海道五十三次」の言われになったと書いているサイトもありました。案外、そうかもしれません。

五台山:
ごだいさん。中国仏教、文殊菩薩の聖地で世界遺産。五つの峰があるから五台山みたいです。











 

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