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宇治拾遺物語 現代語訳ブログ

中世日本の説話物語集「宇治拾遺物語」を現代語にして行く適当な個人ブログです。
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※おしらせ:Amazon Kindle, 楽天Kobo版で、最終15巻まで電子書籍にしました(2018/6/21 記事更新)。
講談社主催 第4回「決戦! 小説大賞」受賞しました。
Amazon Kindleでわたくし版「宇治拾遺物語」現代語訳第11巻を発売しました。(2016/03/09 記事更新)
わたくし版「宇治拾遺物語現代語訳」第10巻を発売しました。(2015/08/21 記事更新)
「第22回九州さが大衆文学賞」を受賞しましたー! 受賞作は、小説NON 2015年 07 月号 [雑誌] に掲載。
全話完訳を喜んで、あたくしのKDP小説無料キャンペーンやります! 詳細はホームページに。(2013/10/16)
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わたくし版「方丈記」現代語訳Amazon Kindle にあります。
適当訳者主催「てきすぽどーじん秀作撰」Amazon Kindle で販売中です!
SF往復書簡集「月と地球と」Amazon Kindle で販売中
目次・一覧を更新しました。(2013/2/8)
宇治拾遺とは関係ないですが、小説雑誌をつくってみました。(2012/10/31)
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20万アクセスを超えてましたー。(2012/05/23)
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【宇治拾遺物語 総目次】 【このブログについて】
  
わたくし版現代語訳 目次
第一巻
(序) 宇治拾遺物語について
(1) 道命阿闍梨読経し五條道祖神聴聞する事
(2) 丹波国篠村、平茸のこと
(3) 鬼にこぶとらるる事(前半)(後半)
(4) 伴大納言の事
(5) 隨求陀羅尼を額に籠める法師の事
(6) 玉茎検知のこと
(7) 鹿の身代わり
(8) 易の占、金取出す事
(9) 宇治殿倒れさせ給いて実相房僧正験者に召るる事
(10) 秦兼久、通俊卿に向いて悪口の事
(11) 一生不犯僧
(12) 児のかいもちひするに空寝したる事
(13) 田舎児桜散みて泣く事
(14) 小藤太、婿におどさる
(15) 大童子鮭ぬすみたる事
(16) 尼、地蔵を見奉る事
(17) 修行者、百鬼夜行に遭うこと
(18) 利仁芋粥の事 (上) (中) (下)
休題閑話 第一巻の適当訳後記

第二巻
(19) 清徳聖、奇特の事
(20) 静観僧正祈る、雨を法験の事
(21) 静観僧正、大嶽の岩祈り失ふ事
(22) 金峰山の金箔打ち
(23) 紀用経の荒巻鯛 (前半) (後半)
(24) 厚行、死人を家より出すこと
(25) 鼻長僧の事(前半) (後半)
(26) 晴明、蔵人少将を封ずる事
(27) 季通、災いに遭はむとする事(前半) (後半)
(28) 袴垂、保昌に会う事
(29) あきひら欲合殃事
(30) 唐卒都婆、血つく事
(31) 成村、強力の学士に会う事
(32) 柿の木に仏現ずる事
休題閑話 第二巻の適当訳後記

第三巻
(33) 大太郎盗人事(前半) (後半)
(34) 藤大納言忠家物言女、放屁の事
(35) 小式部内侍定頼卿の経にめでたる事
(36) 山ぶし舟祈返事
(37) 鳥羽僧正与国俊たはぶれ(前半) (後半)
(38) 絵仏師良秀家の焼をみてよろこぶこと
(39) 虎の鰐取たる事
(40) 樵夫、歌の事
(41) 伯母の事(前半) (後半)
(42) 同人仏事事
(43) 藤六の事
(44) 多田しんぼち郎等事
(45) いなばの国別当地蔵作さす事
(46) 臥見修理大夫俊綱事
(47) 長門前司女さうそうの時本所にかへる事
(48) 雀報恩事(上) (中) (下)
(46) 小野篁、広才の事
(50) 平貞文・本院侍従事(前半) (後半)
(51) 一条摂政歌事
(52) 狐家に火つくる事
休題閑話 第三巻の適当訳後記

第四巻
(53) 狐人につきてしとぎ食う事
(54) 左渡国に金ある事
(55) 薬師寺別富事
(56) 妹背嶋の事
(57) 石橋の下の蛇の事(前半) (後半)
(58) 東北院の菩提講の聖の事
(59) 三川の入道遁世の事(前半) (後半)
(60) 進命婦清水寺参事
(61) 業遠朝臣蘇生の事
(62) 篤昌忠恒等の事
(63) 後朱雀院丈六の佛作り奉り給ふ事
(64) 式部大輔実重賀茂の御正体拝み奉る事
(65) 智海法印癩人法談の事
(66) 白河院おそはれ給ふ事
(67) 永超僧都魚食ふ事
(68) 了延に実因湖水の中より法文の事
(69) 慈恵僧正戒壇築かれたる事
休題閑話 第四巻の適当訳後記

第五巻

(70) 四宮河原地蔵の事
(71) 伏見修理大夫の許へ殿上人ども行き向う事
(72) 以長、物忌の事
(73) 範久阿闍梨、西方を後にせぬ事
(74) 陪従家綱行綱、互ひに謀りたる事(前半) (後半)
(75) 同清仲の事
(76) 仮名暦あつらへたる事
(77) 実子にあらざる子の事(前半) (後半)
(78) 御室戸僧正事、一乗寺事(前半) (後半)
(79) ある僧人の許にて氷魚盗み食ひたる事
(80) 仲胤僧都、地主權現説法の事
(81) 大二条殿に小式部内侍歌読みかけ奉る事
(82) 山横川賀能地蔵の事
休題閑話 第五巻の適当訳後記

第六巻

(83) 広貴、炎魔王宮へ召る事
(84) 世尊寺に死人掘出す事
(85) 留志長者の事(前半) (後半)
(86) 清水寺に二千度参詣する者、双六に打入るる事
(87) 観音経、蛇に化して人輔け給う事(前半) (後半)
(88) 賀茂社より御幣紙米等給う事
(89) 信濃国筑摩湯に観音沐浴の事
(90) 帽子の叟、孔子と問答の事
(91) 僧伽多、羅刹国に行く事(上) (中) (下)
休題閑話 第六巻の適当訳後記

第七巻
(93) 五色の鹿の事(前半)(後半)
(93) 播磨守爲家の侍の事(前半)(後半)
(93) 三條の中納言水飯の事
(94) 検非違使、忠明の事
(95) 長谷寺参籠の男、利生に預る事
(96) 小野宮大饗の事、西宮殿富子路の大臣大饗の事(上)(中)(下)
(97) 式成、満、則員等三人滝口、弓芸の事
休題閑話 第七巻の適当訳後記

第八巻
(99) 大膳大夫以長、先駆の間の事
(100) 下野武正、大風雨日、参法性寺殿事
(101) 信濃国の聖の事(上)(中)(下)
(102) 敏行の朝臣の事(上)(中)(下)
(103) 東大寺華厳会の事
(104) 猟師仏を射る事
(105) 千手院僧正仙人
休題閑話 第八巻の適当訳後記

第九巻
(106) 滝口道則、術を習う事(上)(下)
(107) 宝志和尚、影の事
(108) 越前敦賀の女、観音たすけ給ふ事(1) (2)(3) (4)
(109) くうすけが佛供養の事(上) (中)(下)
(110) 恒正が郎等佛供養の事(上)(下)
(111) 歌よみて罪をゆるさるる事
(112) 大安寺別當女に嫁する男、夢見る事
(113) 博打聟入の事
休題閑話 第九巻の適当訳後記
 
第十巻
(114) 伴大納言応天門を焼く事(上)(下)
(115) 放鷹楽明暹に是季がならふ事
(116) 堀河院明暹に笛ふかさせ給ふ事
(117) 浄蔵が八坂坊に強盗入る事
(118) 播磨守定輔が事(上)(下)
(119) 吾妻人生贄を止むる事(1)(2)(3)(4)
(120) 豊前王の事
(121) 蔵人頓死の事
(122) 小槻当平の事
(123) 海賊発心出家の事(上)(中)(下)
休題閑話 第十巻の適当訳後記
 
第十一巻
(124) 青常の事(上)(下)
(125) 保輔盗人たる事
(126) 晴明を心みる僧の事
(127) 晴明蛙を殺す事
(128) 河内守頼信平忠恒をせむる事(上)(下)
(129) 白河法皇北面受領の下りのまねの事
(130) 蔵人得業猿沢池の竜の事
(131) 清水寺御帳たまはる女の事
(132) 則光盗人をきる事(上)(上)
(133) 空入水したる僧の事
(134) 日蔵上人吉野山にて鬼に逢ふ事
(135) 丹後守保昌下向の時致経父に逢ふ事
(136) 出家功徳の事

休題閑話 「今は昔」について
 
第十二巻
(137) 達磨天竺の僧の行を見る事
(138) 提婆菩薩竜樹菩薩の許に参る事
(139) 慈恵僧正受戒の日を延引する事
(140) 内記上人法師陰陽師の紙冠を破る事
(141) 持経者叡実効験の事
(142) 空也上人臂観音院僧正祈りなほす事
(143) 僧賀上人三条の宮に参り振舞の事
(144) 聖宝僧正一条大路をわたる事
(145) 穀断の聖不実露顕の事
(146) 季直少将歌の事
(147) 樵夫小童隠題歌よむ事
(148) 高忠侍歌よむ事
(149) 貫之歌の事
(150) 東人歌の事
(151) 河原院に融公の霊住む事
(152) 八歳童孔子と問答の事
(153) 鄭太尉の事
(154) 貧俗仏性を観じて富める事
(155) 宗行郎等虎を射る事(上)(下)
(156) 遣唐使の子虎に食はるる事


第十三巻
(161) 上緒の主金を得る事
(162) 元輔落馬の事
(163) 俊宣迷神にあふ事
(164) 亀を買ひてはなす事
(165) 夢買ふ人の事
(166) 大井光遠の妹強力の事
(167) 或唐人、女のひつじに生れたる知らずして殺す事
(168) 出雲寺別当の鯰になりたるを知りながら殺して食ふ事
(169) 念仏の僧魔往生の事
(170) 慈覚大師纐纈城に入り給ふ事
(171) 渡天の僧穴に入る事
(172) 寂昭上人鉢をとばす事
(173) 清滝川聖の事
(174) 優婆崛多弟子の事

休題閑話 第十三巻の適当訳後期


第十四巻
(175) 海雲比丘弟子童の事
(176) 寛朝僧正勇力の事
(177) 頼経蛇に逢ふ事
(178) 魚養の事
(179) 新羅国の后金榻の事
(180) 珠の価量り無き事
(181) 北面女雑使六の事
(182) 仲胤僧都連歌の事
(183) 大将つつしみの事
(184) 御堂関白御犬晴明等きどくの事
(185) 高階俊平が弟入道算術の事

休題閑話 第十四巻の適当訳後期


第十五巻
(186) 清見原天皇大友皇子と合戦の事
(187) 頼時が胡人見たる事
(188) 賀茂祭のかへり武正兼行御覧の事
(189) 門部府生海賊射かへす事
(190) 土佐の判官代通清、人たがひして関白殿に逢ひ奉る事
(191) 極楽寺僧仁王経を施す事
(192) 伊良縁の世恒毘沙門御下文の事
(193) 相応和尚都卒天にのぼる事附染殿の后祈り奉る事(上)(下)
(194) 仁戒上人往生の事
(195) 秦始皇天竺より来たる僧禁獄の事
(196) 後の千金の事
(197) 盗跖孔子と問答の事

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(つづき)

 その後、この男の子は無事に、法華経全巻を読み終えた。
 海雲比丘は、
「おまえは法華経を読み通した。今より正式な法師となり、受戒を授かるのだ」
 といって、男の子は法師となった。

「だがわしには受戒を授けることができない。
 洛陽の禅定寺にいらっしゃる、りん法師という人が、
 このごろ、朝廷の宣旨を受けて、受戒のことを行っている。
 その人のもとへ行き、授かるのだ。
 わしは、これ以上おまえを見ることができぬ事情がある」
 と言って、比丘が大いに泣き出したため、新たな法師は、
「受戒を授かれば、すぐに帰りますのに、何と思し召して、そのように仰せになるのですか」
 と言い、
「それにどうして、そのようにお泣きになるのですか」
 と尋ねたが、
「ただ悲しい事情があるのだ」
 と、泣くばかりであった。

 そうして、海雲比丘は新たな法師に、
「戒師のもとへ参り、どこから来た人かと訊かれたら、
『清涼山の海雲比丘のもとから』と答えるのだよ」
 と教えて、あとは涙涙で見送るのだった。

 ともかく、新たな法師は師匠の言葉に従って、りん法師のもとへ行き、
 受戒する旨を伝えると、予想したとおりに、
「どこから来た人か」
 と問われたので、教わったとおりに答えれば、りん法師は驚いて、
「貴きことである」
 と、新たな法師を礼拝して言うには、
「五台山は、文殊だけが住まわれる場所です。
 あなたは、海雲比丘というすばらしい善知識に逢い、
 文殊を拝みながら過していたのです」
 と、限りなくありがたがるのだった。

 こうして受戒を済ませた法師は五台山へ帰り、長年お仕えしていた師匠の居所を尋ねたが、
 そこはまったく、人が住んだ名残さえ無かったのである。
 泣く泣く、山のすべてを尋ね歩いたが、ついに居所はわからなかった。

 前の優婆崛多の弟子の僧侶が、賢い人ではあったが心は弱く、女に近づいた。
 だがこの若い僧侶は、幼いながらも心強く、女人に近づかなかった。
 そのため文殊は、かれを賢い者だと思い、教化して仏道に入らせたのである。
 だから世間の者も、戒を破ってはならないのである。





原文
海雲比丘の弟子童の事(つづき)
さる程に、童は法華經を一部よみ終にけり。其時、比丘のたまはく、「なんぢ法華經をよみはてぬ。今は法師となりて受戒すべし」とて、法師になされぬ。「受戒をば我はさづくべからず。東京(とうけい)に禅定寺にいまする、りん法師と申人、この比おほやけの宣旨を蒙て、受戒を行給人なり。其人のもとへ行て受くべきなり。たゞいまは汝を見るまじきことのあるなり」とて、泣給こと限りなし。童の申、「受戒仕ては、則歸参り候べし。いかにおぼしめして、かくは仰候ぞ」と。又「いかなれば、かく泣かせ給ぞ」と申せば、「たゞかなしきことの有なり」とて泣き給。さて童に、「戒師の許に行たらんに、「いづかたよりきたる人ぞ」と問はば、「清涼山の海雲比丘のもとより」と申べきなり」と教へ給て、なくなく見送り給ぬ。
童、おほせにしたがひて、りん法師のもとにゆきて、受戒すべきよし申ければ、案のごとく、「いづかたより來る人ぞ」と問給ければ、教へ給つるやう申ければ、りん法師驚て、「貴き事なり」とて、禮拜して云、「五臺山には文殊のかぎり住給所なり。なんぢ沙彌は、海雲比丘の善知識にあひて、文殊をよくおがみ奉りけるにこそありけれ」とて、貴ぶ事限なし。さて受戒して、五臺山へ歸て、日ごろゐたりつる坊の在所を見れば、すべて人の住たるけしきなし。泣々ひと山を尋ありけども、つひに在所なし。
これは優婆崛多の弟子の僧、かしこけれども、心よはく、女に近づきけり。これはいとけなけれども、心つよくて、女人に近づかず。かるが故に、文殊、これを、かしこき者なれば、教化して佛道に入しめ給なり。されば世の人、戒をばやぶるべからず。



適当訳者の呟き:
海雲比丘=文殊菩薩、だと考えると解釈しやすいですが、それだと、前半で、子供の姿をした文殊菩薩が、比丘と世間話をしに来るのがよく分らなくなります(文殊様なら分身術が使えそうですが……)。あと、文殊菩薩が自ら教育した法師の名前が無いというのも、不思議です。
個人的な解釈では、弟子の男の子へ愛情を注ぎすぎた海雲比丘は、ほとんど愛欲に負けそうになるギリギリのところで辛うじて法師にできたので、アア良かった、わしの任務は何とか果たせたとばかりに、山奥へ逃げ込んだのかと思いましたが、まったく違うかもしれません。
(あるいは、途中で弟子に惚れ込んだ文殊様が海雲比丘をぶっ殺し、入れ替ったとか。。。女を見殺しにするような文殊様ですし)

禅定寺:
隋の時代に建てられました。東禅定寺、西禅定寺があったみたいです。
唐の時代には名前を変えて大荘厳寺、大總持寺。その後、慈覚大師が遭遇した、会昌の廃仏大乱の際も破却を免れた伝統と格式を持つ大寺ですが、今でもあるのかは知りません。

りん法師:
倫法師、と出ますが、それ以上のことは分りません。









 

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