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宇治拾遺物語 現代語訳ブログ

中世日本の説話物語集「宇治拾遺物語」を現代語にして行く適当な個人ブログです。
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わたくし版「宇治拾遺物語現代語訳」第10巻を発売しました。(2015/08/21 記事更新)
「第22回九州さが大衆文学賞」を受賞しましたー! 受賞作は、小説NON 2015年 07 月号 [雑誌] に掲載。
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【宇治拾遺物語 総目次】 【このブログについて】
  
わたくし版現代語訳 目次
第一巻
(序) 宇治拾遺物語について
(1) 道命阿闍梨読経し五條道祖神聴聞する事
(2) 丹波国篠村、平茸のこと
(3) 鬼にこぶとらるる事(前半)(後半)
(4) 伴大納言の事
(5) 隨求陀羅尼を額に籠める法師の事
(6) 玉茎検知のこと
(7) 鹿の身代わり
(8) 易の占、金取出す事
(9) 宇治殿倒れさせ給いて実相房僧正験者に召るる事
(10) 秦兼久、通俊卿に向いて悪口の事
(11) 一生不犯僧
(12) 児のかいもちひするに空寝したる事
(13) 田舎児桜散みて泣く事
(14) 小藤太、婿におどさる
(15) 大童子鮭ぬすみたる事
(16) 尼、地蔵を見奉る事
(17) 修行者、百鬼夜行に遭うこと
(18) 利仁芋粥の事 (上) (中) (下)
休題閑話 第一巻の適当訳後記

第二巻
(19) 清徳聖、奇特の事
(20) 静観僧正祈る、雨を法験の事
(21) 静観僧正、大嶽の岩祈り失ふ事
(22) 金峰山の金箔打ち
(23) 紀用経の荒巻鯛 (前半) (後半)
(24) 厚行、死人を家より出すこと
(25) 鼻長僧の事(前半) (後半)
(26) 晴明、蔵人少将を封ずる事
(27) 季通、災いに遭はむとする事(前半) (後半)
(28) 袴垂、保昌に会う事
(29) あきひら欲合殃事
(30) 唐卒都婆、血つく事
(31) 成村、強力の学士に会う事
(32) 柿の木に仏現ずる事
休題閑話 第二巻の適当訳後記

第三巻
(33) 大太郎盗人事(前半) (後半)
(34) 藤大納言忠家物言女、放屁の事
(35) 小式部内侍定頼卿の経にめでたる事
(36) 山ぶし舟祈返事
(37) 鳥羽僧正与国俊たはぶれ(前半) (後半)
(38) 絵仏師良秀家の焼をみてよろこぶこと
(39) 虎の鰐取たる事
(40) 樵夫、歌の事
(41) 伯母の事(前半) (後半)
(42) 同人仏事事
(43) 藤六の事
(44) 多田しんぼち郎等事
(45) いなばの国別当地蔵作さす事
(46) 臥見修理大夫俊綱事
(47) 長門前司女さうそうの時本所にかへる事
(48) 雀報恩事(上) (中) (下)
(46) 小野篁、広才の事
(50) 平貞文・本院侍従事(前半) (後半)
(51) 一条摂政歌事
(52) 狐家に火つくる事
休題閑話 第三巻の適当訳後記

第四巻
(53) 狐人につきてしとぎ食う事
(54) 左渡国に金ある事
(55) 薬師寺別富事
(56) 妹背嶋の事
(57) 石橋の下の蛇の事(前半) (後半)
(58) 東北院の菩提講の聖の事
(59) 三川の入道遁世の事(前半) (後半)
(60) 進命婦清水寺参事
(61) 業遠朝臣蘇生の事
(62) 篤昌忠恒等の事
(63) 後朱雀院丈六の佛作り奉り給ふ事
(64) 式部大輔実重賀茂の御正体拝み奉る事
(65) 智海法印癩人法談の事
(66) 白河院おそはれ給ふ事
(67) 永超僧都魚食ふ事
(68) 了延に実因湖水の中より法文の事
(69) 慈恵僧正戒壇築かれたる事
休題閑話 第四巻の適当訳後記

第五巻

(70) 四宮河原地蔵の事
(71) 伏見修理大夫の許へ殿上人ども行き向う事
(72) 以長、物忌の事
(73) 範久阿闍梨、西方を後にせぬ事
(74) 陪従家綱行綱、互ひに謀りたる事(前半) (後半)
(75) 同清仲の事
(76) 仮名暦あつらへたる事
(77) 実子にあらざる子の事(前半) (後半)
(78) 御室戸僧正事、一乗寺事(前半) (後半)
(79) ある僧人の許にて氷魚盗み食ひたる事
(80) 仲胤僧都、地主權現説法の事
(81) 大二条殿に小式部内侍歌読みかけ奉る事
(82) 山横川賀能地蔵の事
休題閑話 第五巻の適当訳後記

第六巻

(83) 広貴、炎魔王宮へ召る事
(84) 世尊寺に死人掘出す事
(85) 留志長者の事(前半) (後半)
(86) 清水寺に二千度参詣する者、双六に打入るる事
(87) 観音経、蛇に化して人輔け給う事(前半) (後半)
(88) 賀茂社より御幣紙米等給う事
(89) 信濃国筑摩湯に観音沐浴の事
(90) 帽子の叟、孔子と問答の事
(91) 僧伽多、羅刹国に行く事(上) (中) (下)
休題閑話 第六巻の適当訳後記

第七巻
(93) 五色の鹿の事(前半)(後半)
(93) 播磨守爲家の侍の事(前半)(後半)
(93) 三條の中納言水飯の事
(94) 検非違使、忠明の事
(95) 長谷寺参籠の男、利生に預る事
(96) 小野宮大饗の事、西宮殿富子路の大臣大饗の事(上)(中)(下)
(97) 式成、満、則員等三人滝口、弓芸の事
休題閑話 第七巻の適当訳後記

第八巻
(99) 大膳大夫以長、先駆の間の事
(100) 下野武正、大風雨日、参法性寺殿事
(101) 信濃国の聖の事(上)(中)(下)
(102) 敏行の朝臣の事(上)(中)(下)
(103) 東大寺華厳会の事
(104) 猟師仏を射る事
(105) 千手院僧正仙人
休題閑話 第八巻の適当訳後記

第九巻
(106) 滝口道則、術を習う事(上)(下)
(107) 宝志和尚、影の事
(108) 越前敦賀の女、観音たすけ給ふ事(1) (2)(3) (4)
(109) くうすけが佛供養の事(上) (中)(下)
(110) 恒正が郎等佛供養の事(上)(下)
(111) 歌よみて罪をゆるさるる事
(112) 大安寺別當女に嫁する男、夢見る事
(113) 博打聟入の事
休題閑話 第九巻の適当訳後記
 
第十巻
(114) 伴大納言応天門を焼く事(上)(下)
(115) 放鷹楽明暹に是季がならふ事
(116) 堀河院明暹に笛ふかさせ給ふ事
(117) 浄蔵が八坂坊に強盗入る事
(118) 播磨守定輔が事(上)(下)
(119) 吾妻人生贄を止むる事(1)(2)(3)(4)
(120) 豊前王の事
(121) 蔵人頓死の事
(122) 小槻当平の事
(123) 海賊発心出家の事(上)(中)(下)
休題閑話 第十巻の適当訳後記
 
第十一巻
(124) 青常の事(上)(下)
(125) 保輔盗人たる事
(126) 晴明を心みる僧の事
(127) 晴明蛙を殺す事
(128) 河内守頼信平忠恒をせむる事(上)(下)
(129) 白河法皇北面受領の下りのまねの事
(130) 蔵人得業猿沢池の竜の事
(131) 清水寺御帳たまはる女の事
(132) 則光盗人をきる事(上)(上)
(133) 空入水したる僧の事
(134) 日蔵上人吉野山にて鬼に逢ふ事
(135) 丹後守保昌下向の時致経父に逢ふ事
(136) 出家功徳の事

休題閑話 「今は昔」について
 
第十二巻
(137) 達磨天竺の僧の行を見る事
(138) 提婆菩薩竜樹菩薩の許に参る事
(139) 慈恵僧正受戒の日を延引する事
(140) 内記上人法師陰陽師の紙冠を破る事
(141) 持経者叡実効験の事
(142) 空也上人臂観音院僧正祈りなほす事
(143) 僧賀上人三条の宮に参り振舞の事
(144) 聖宝僧正一条大路をわたる事
(145) 穀断の聖不実露顕の事
(146) 季直少将歌の事
(147) 樵夫小童隠題歌よむ事
(148) 高忠侍歌よむ事
(149) 貫之歌の事
(150) 東人歌の事
(151) 河原院に融公の霊住む事
(152) 八歳童孔子と問答の事
(153) 鄭太尉の事
(154) 貧俗仏性を観じて富める事
(155) 宗行郎等虎を射る事(上)(下)
(156) 遣唐使の子虎に食はるる事


第十三巻
(161) 上緒の主金を得る事
(162) 元輔落馬の事
(163) 俊宣迷神にあふ事
(164) 亀を買ひてはなす事
(165) 夢買ふ人の事
(166) 大井光遠の妹強力の事
(167) 或唐人、女のひつじに生れたる知らずして殺す事
(168) 出雲寺別当の鯰になりたるを知りながら殺して食ふ事
(169) 念仏の僧魔往生の事
(170) 慈覚大師纐纈城に入り給ふ事
(171) 渡天の僧穴に入る事
(172) 寂昭上人鉢をとばす事
(173) 清滝川聖の事
(174) 優婆崛多弟子の事

休題閑話 第十三巻の適当訳後期


第十四巻
(175) 海雲比丘弟子童の事
(176) 寛朝僧正勇力の事
(177) 頼経蛇に逢ふ事
(178) 魚養の事
(179) 新羅国の后金榻の事
(180) 珠の価量り無き事
(181) 北面女雑使六の事
(182) 仲胤僧都連歌の事
(183) 大将つつしみの事
(184) 御堂関白御犬晴明等きどくの事
(185) 高階俊平が弟入道算術の事

休題閑話 第十四巻の適当訳後期


第十五巻
(186) 清見原天皇大友皇子と合戦の事
(187) 頼時が胡人見たる事
(188) 賀茂祭のかへり武正兼行御覧の事
(189) 門部府生海賊射かへす事
(190) 土佐の判官代通清、人たがひして関白殿に逢ひ奉る事
(191) 極楽寺僧仁王経を施す事
(192) 伊良縁の世恒毘沙門御下文の事
(193) 相応和尚都卒天にのぼる事附染殿の后祈り奉る事(上)(下)
(194) 仁戒上人往生の事
(195) 秦始皇天竺より来たる僧禁獄の事
(196) 後の千金の事
(197) 盗跖孔子と問答の事

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 これも今は昔、筑紫に、大夫の定重という男がいた。
 今の箱崎の大夫、則茂の祖父に当たる。
 その定重が、あるとき京都へのぼることになった。
 亡き宇治殿のもとを訪れ、また他の知人にも心ざしを進呈しようと、
 九州の地で、唐人から六七千疋ほども借金するため、太刀を十本ほど、質に置いた。

 さて京都へ着いて、宇治殿を訪れて予定どおり、
 私的な人々へも贈り物をするなどして、定重は都をあとにした。

 淀から舟に乗り、宴を設けて、あれこれものを食べていると、
 小舟で商いする者たちが集まってきて、
「これを買わぬか、あれを買わぬか」
 そんなふうに尋ねる中で、一人が、
「この玉を買わぬか」
 と言っているが、特に聞く者は無かった。

 と、定重の舎人として仕える男が、舳先に立っていて、その商人に、
「ここへ持って来るのだ。見たい」
 と言うので、商人は、袴の腰から、アコヤ貝の玉、つまり真珠の、
 大きな豆ほどもあるものを取り出して、見せた。

 男が、身につけていた水干を脱いで、
「これと交換しよう」
 と言うと、玉を持ってきた商人は、得をしたぞと思い、
 あたふたと水干を受け取ると、素早く舟を返した。
 舎人の方も、高い買物だとは思っていたが、商人があまりに慌てて漕ぎ去ったから、
 高すぎたなと惜しく思いながら、別の水干に履き替えるのだった。

 そうして、日数が過ぎて、博多というところへ到着した。
 定重は舟から降りるとそのまま、金を借りた唐人のもとへ行き、
「質物はわずかだったが、借りられた金は多かった」
 そんなふうにお礼を伝えようと、訪れると、
 唐人も喜んで、酒を飲ませるなどしてあれこれ話を弾ませた。

 さて、例の真珠を買った男が、この間に、唐人の下働きをつかまえて、
「この玉を買うか」
 と、袴の腰のところから、真珠を取り出して取らせると、
 唐人はこれを手の上に置き、打ち振って見ながら、いかにも物欲しげな顔付で、
「これは幾らくらいだ」
 と尋ねるので、欲しいのだなと見て、
「十貫」
 と答えると、先方は迷った後、
「十貫で買おう」
 という。

「いや、実は二十貫なのだ」
 と言うと、それでも迷って、
「買おう」
 という。
 男は、さてはよほど高価なものなのだと思うので、
「ひとまず、返してくれ」
 と頼むと、相手も返すのを惜しんだようだが、
 男がとにかく返すように言うから唐人も仕方なく返した。

 そして、
「もっとしっかり値段を決めてから売ろう」
 と、袴の腰に包んで退散したから、唐人は憤って、
 定重と面会中の、唐人船頭のもとへ行き、
 こんなことが、と小うるさく苦情を述べたところ、
 船頭は頷き、定重に、
「そちらの従者の中に、玉を持つ者がいる。その玉を取り、我らにくだされ」
 と言った。


(つづく)


原文
玉の価(あたひ)はかりなき事
これも今は昔、筑紫(つくし)に大夫さだしげと申す者ありけり。この比ある箱崎の丈夫のりしげが祖父(おほぢ)なり。そのさだしげ京上しけるに、故宇治殿に参らせ、またわたくしの知りたる人々にも心ざさんとて、唐人に物を六七千疋が程借るとて、太刀を十腰ぞ質に置きける。
さて京に上りて、宇治殿に参らせ、思のままにわたくしの人人にやりなどして、帰り下りけるに、淀にて舟に乗りける程に、人設けしたりければ、これぞ食ひなどして居たりける程に、端舟(はしぶね)にて商をする者ども寄り来て、「その物や買ふ。かの物や買ふ」など尋ね問ひける中に、「玉をや買ふ」といひけるを、聞き入るる人もなかりけるに、さだしげが舎人に仕へけるをのこ、舳に立てりけるが、「ここへ持ておはせ。見ん」といひければ、袴の腰よりあこやの玉の、大なる豆ばかりありけるを取り出して、取らせたりければ、着たりける水干(すいかん)を脱ぎて、「これにかへてんや」といひければ、玉の主の男、所得(せうとく)したりと思ひけるに、惑ひ取りて、舟さし放ちて去にければ、舎人も高く買ひたるにやと思ひけれども、惑ひ去にければ、悔しと思ふ思ふ、袴の腰に包みて、異水干着かへてぞありける。
かかる程に、日数積りて、博多といふ所に行き着きにけり。さだしげ舟よりおるるままに、物貨したりし唐人のもとに、「質は少なかりしに、物は多くありし」などいはんとて、行きたりければ、唐人も待ち悦びて、酒飲ませなどして物語しける程に、この玉持のをのこ、下種(げす)唐人にあひて、「玉や買ふ」といひて、袴の腰より玉を取り出でて取らせければ、唐人玉を受け取りて、手の上に置きて、うち振りて見るままに、あさましと思ひたる顔気色にて、「これはいくら程」と問ひければ、ほしと思ひたる顔気色(かほけしき)見て、「十貫」といひければ、惑ひて、「十貫に買はん」といひけり。「まことは廿貫といひければ、それをも惑ひ、「買はん」といひけり。さては価高き物にやあらんと思ひて、「賜べ、まづ」と乞ひけるを、惜みけれども、いたく乞ひければ、我にもあらで取らせたりければ、「今よく定めて売らん」とて、袴の腰に包みて、退きにければ、唐人すべきやうもなくて、さだしげと向ひたる船頭がもとに来て、その事ともなくさへづりければ、この船頭うち頷きて、さだしげにいふやう、「御従者(ずんざ)の中に、玉持ちたる者あり。その玉取りて給らん」といひければ、



適当訳者の呟き
昔は、たいそう真珠が高価だったのですね。続きますー!

大夫のさだしげ、祖父のりしげ:
秦定重と、秦則重。
在地の有力者だったようで、則茂は、太宰大監(じょう)でした(太宰帥、権帥の下に、弐(すけ)、監(じょう)、典(さかん))。
時代的には、則重さんが、藤原道長の頃の太宰師、平惟任の死を看取った、という頃合です。

玉:
真珠。天然ものの、まん丸な真珠は、価値がいっそう高いみたいですね。
魏志倭人伝に、「倭の地には、真珠・青玉を産する」と書かれているくらい、日本では昔から真珠が採れた模様。












 

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