(最初から)
着替えを取りに、小舎人を殿居所へ行かせて、
やがて着替えた則光が、今まで着ていた衣を見たところ、袴に血がついている。
則光は、これを厳重に隠させると、またしっかりと小舎人にも口止めした。
さらに、太刀に血の付いたところを洗うなどした後、殿居所へ何気なく帰ると、
そのままさっさと寝てしまうのだった。
そして夜もすがら、自分のしたことが知られやしないかと胸騒ぎをしながら考えているうち、
夜が明けて来ると、案の定、人々が騒ぎ出して、
「大宮大炊の御門の辺りに、大きな男が三人、互いに近いところで斬り殺されているぞ。
すごい太刀さばきだ。
連中、ここで斬り合って死んだのかと思えばと、全員同じ太刀筋でやられている。
彼らの敵がやったのだろう。しかし、倒れているこいつらこそ、盗人のような恰好だが」
そんな話に、殿上人たちが、
「よし、見に行こうぞ」
と誘い合っているので、則光は、
「行くものか」
と思ってはいたものの、行かないのもまた不審がられると思うから、
しぶしぶ行くことにした。
さて、牛車へ乗りこぼれるほどに乗り込んで、やんやと現場へ向うと、
未だあれこれもせず、死骸が放置してあるところに、
もじゃもじゃと髭を生やした、四十を過ぎたくらいの男が、
無紋の袴、紺の洗いざらしの襖着、山吹の絹の裏をよくさらされたものを着込み、
さらに鞘と柄の尻が猪の皮巻きになった太刀をはいて、
猿皮の足袋に切り離しの沓、脇を欠いた着物――と、
何とも仰々しい恰好で指をさし、あちらを向きこちらを向き、
何事か口舌をぶっていたのである。
あれは何者だろう、と見ていると、雑色が近づいてきて、
「あの男が、盗人仇に逢ったため、やっつけたと申しております」
という。
則光が、ありがたいことを申すやつだと思っていると、
前の方に乗っていた殿上人が、
「あの男を召し寄せよ。仔細を問おうぞ」
と言うので、雑色が駆けて行き、召し連れて来る。
なるほど、わさわさの頬髭に、反り返った顎、鼻も垂れ下がった赤髭の男で、
目も血走っているのが、片膝をつき、太刀の柄へ手を掛けて、そこへ控えるのだった。
「いかなることをしたのか」
と問われて、男の言うには、
「昨夜のことにござります。
ちょっとした用事で出かける途中、ここを通りかかったところ、あその三人が、
『おぬし、通り過ぎる気か』
と走りかかるので、盗人に相違ないと、抜き合わせて倒してやったのですが、
今朝あらためて見れば、まさに、それがしを恨みに思う者ども。
よし、これはちょうど仇を討ったようなものだと存じ、
さらに今、奴らのドタマを斬って、こうしてやったところです」
などと、立ったり座ったり、指さしたりしながら語るので、
人々が、
「なるほど、なるほど」
と言いながら、さらにあれこれ尋ねるうち、男はだんだん狂人じみて語るのだった。
則光はようやくその時になって、一件は人に譲り得たと、顔を上げることができた。
人を斬ったことを誰かに知られるのではないかと、ひそかに不安に感じてたが、
ああして自分の仕業だと名乗る者が出たから、彼にすべて譲ってしまったのだと、
老いた後、子供に語ったということであった。
原文
則光盗人をきる事(つづき)
殿居所にやりて、着がへ取りよせて着かへて、もと着たりけるうへのきぬ、指貫には血のつきたりければ、童して深くかくさせて、童の口よくかためて、太刀に血のつきたる洗ひなどしたゝめて、殿居所にさりげなく入りて、ふしにけり。夜もすがら、我したるなど、聞えやあらずらんと、胸うちさわぎて思ふほどに、夜明てのち、物どもいひさわぐ。「大宮大炊の御門邊に、大なる男三人、いくほどもへだてず、きりふせたる、あさましく使ひたる太刀かな。かたみにきり合て死たるかと見れば、おなじ太刀のつかひざま也。敵のしたりけるにや。されど盗人とおぼしきさまぞしたる」などいひのゝしるを、殿上人ども、「いざ、ゆきて見てこん」とて、さそひてゆけば、「ゆかじはや」と思へども、いかざらんも又心得れぬさまなれば、しぶしぶに去ぬ。車にのりこぼれて、やりよせて見れば、いまだ、ともかくもしなさで置きたりけるに、年四十餘斗なる男の、かつらひげなるが、無文のはかまに、紺の洗ひざらしの襖着、山吹の絹の衫よくさらされたる着たるが、猪のさやつかの尻鞘したる太刀はきて、猿の皮のたびに、沓きりはきなして、脇をかき、指をさして、と向きかう向き、物いふ男たてり。なに男にかとみるほどに、雑色のよりきて、「あの男の、盗人かたきにあひて、つかうまつりたると申」といひければ、うれしくもいふなる男かなと思ふ程に、車のまへに乗たる殿上人の、「かの男召しよせよ。子細問はん」といへば、雑色走よりて、召してもて來たり。みれば、たかずらひげにて、おとがひ反り、鼻さがりたり。赤ひげなる男の、血目にみなし、かた膝つきて、太刀のつかに手をかけてゐたり。「いかなりつることぞ」と問へば、「此夜中ばかりに、ものへまかるとて、こゝまかり過つるほどに、物の三人「おれは、まさに過ぎなんや」とて、はしりつゞきて、まうできつるを、盗人なめりと思給へて、あへくらべふせて候なり。今朝見れば、なにがしをみなしと思給ふべきやつばらにてさぶらひければ、かたきにて仕りたりけるなめりと思給れば、しや頭どもを、まつて、かくさぶらふなり」と、たちぬ居ぬ、指をさしなど、かたり居れば、人々、「さてさて」といひて、問ひきけば、いとゞ狂ふやうにして、かたりをる。その時にぞ、人にゆづりえて、面ももたげられて見ける。けしきやしるからんと、人しれず思たりけれじ、我と名告るものの出できたりければ、それにゆづりてやみにしと、老いてのちに、子どもにぞ語りける。
適当訳者の呟き
慎み深いというか、平安貴族的には、こういうことで評判になったらいけなかったんでしょうか。
指貫:
さしぬき。袴の一種です。今でも神主さんが穿いてるようなやつです。
大宮大炊の御門:
内裏からはちょっと東、郁芳門のことだと思われます。大炊御門通りと、大宮大路の交差するところ。地図を見比べると、ちょうど二条城の北側ですね。
かつらひげ:
鬘髭か、葛髭か。つけひげみたいな(きれいな)髭か、つたかずらのようにわさわさもじゃもじゃした髭か。たぶん後者ですね。
[4回]
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