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宇治拾遺物語 現代語訳ブログ

中世日本の説話物語集「宇治拾遺物語」を現代語にして行く適当な個人ブログです。
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Amazon Kindleでわたくし版「宇治拾遺物語」現代語訳第11巻を発売しました。(2016/03/09 記事更新)
わたくし版「宇治拾遺物語現代語訳」第10巻を発売しました。(2015/08/21 記事更新)
「第22回九州さが大衆文学賞」を受賞しましたー! 受賞作は、小説NON 2015年 07 月号 [雑誌] に掲載。
全話完訳を喜んで、あたくしのKDP小説無料キャンペーンやります! 詳細はホームページに。(2013/10/16)
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【宇治拾遺物語 総目次】 【このブログについて】
  
わたくし版現代語訳 目次
第一巻
(序) 宇治拾遺物語について
(1) 道命阿闍梨読経し五條道祖神聴聞する事
(2) 丹波国篠村、平茸のこと
(3) 鬼にこぶとらるる事(前半)(後半)
(4) 伴大納言の事
(5) 隨求陀羅尼を額に籠める法師の事
(6) 玉茎検知のこと
(7) 鹿の身代わり
(8) 易の占、金取出す事
(9) 宇治殿倒れさせ給いて実相房僧正験者に召るる事
(10) 秦兼久、通俊卿に向いて悪口の事
(11) 一生不犯僧
(12) 児のかいもちひするに空寝したる事
(13) 田舎児桜散みて泣く事
(14) 小藤太、婿におどさる
(15) 大童子鮭ぬすみたる事
(16) 尼、地蔵を見奉る事
(17) 修行者、百鬼夜行に遭うこと
(18) 利仁芋粥の事 (上) (中) (下)
休題閑話 第一巻の適当訳後記

第二巻
(19) 清徳聖、奇特の事
(20) 静観僧正祈る、雨を法験の事
(21) 静観僧正、大嶽の岩祈り失ふ事
(22) 金峰山の金箔打ち
(23) 紀用経の荒巻鯛 (前半) (後半)
(24) 厚行、死人を家より出すこと
(25) 鼻長僧の事(前半) (後半)
(26) 晴明、蔵人少将を封ずる事
(27) 季通、災いに遭はむとする事(前半) (後半)
(28) 袴垂、保昌に会う事
(29) あきひら欲合殃事
(30) 唐卒都婆、血つく事
(31) 成村、強力の学士に会う事
(32) 柿の木に仏現ずる事
休題閑話 第二巻の適当訳後記

第三巻
(33) 大太郎盗人事(前半) (後半)
(34) 藤大納言忠家物言女、放屁の事
(35) 小式部内侍定頼卿の経にめでたる事
(36) 山ぶし舟祈返事
(37) 鳥羽僧正与国俊たはぶれ(前半) (後半)
(38) 絵仏師良秀家の焼をみてよろこぶこと
(39) 虎の鰐取たる事
(40) 樵夫、歌の事
(41) 伯母の事(前半) (後半)
(42) 同人仏事事
(43) 藤六の事
(44) 多田しんぼち郎等事
(45) いなばの国別当地蔵作さす事
(46) 臥見修理大夫俊綱事
(47) 長門前司女さうそうの時本所にかへる事
(48) 雀報恩事(上) (中) (下)
(46) 小野篁、広才の事
(50) 平貞文・本院侍従事(前半) (後半)
(51) 一条摂政歌事
(52) 狐家に火つくる事
休題閑話 第三巻の適当訳後記

第四巻
(53) 狐人につきてしとぎ食う事
(54) 左渡国に金ある事
(55) 薬師寺別富事
(56) 妹背嶋の事
(57) 石橋の下の蛇の事(前半) (後半)
(58) 東北院の菩提講の聖の事
(59) 三川の入道遁世の事(前半) (後半)
(60) 進命婦清水寺参事
(61) 業遠朝臣蘇生の事
(62) 篤昌忠恒等の事
(63) 後朱雀院丈六の佛作り奉り給ふ事
(64) 式部大輔実重賀茂の御正体拝み奉る事
(65) 智海法印癩人法談の事
(66) 白河院おそはれ給ふ事
(67) 永超僧都魚食ふ事
(68) 了延に実因湖水の中より法文の事
(69) 慈恵僧正戒壇築かれたる事
休題閑話 第四巻の適当訳後記

第五巻

(70) 四宮河原地蔵の事
(71) 伏見修理大夫の許へ殿上人ども行き向う事
(72) 以長、物忌の事
(73) 範久阿闍梨、西方を後にせぬ事
(74) 陪従家綱行綱、互ひに謀りたる事(前半) (後半)
(75) 同清仲の事
(76) 仮名暦あつらへたる事
(77) 実子にあらざる子の事(前半) (後半)
(78) 御室戸僧正事、一乗寺事(前半) (後半)
(79) ある僧人の許にて氷魚盗み食ひたる事
(80) 仲胤僧都、地主權現説法の事
(81) 大二条殿に小式部内侍歌読みかけ奉る事
(82) 山横川賀能地蔵の事
休題閑話 第五巻の適当訳後記

第六巻

(83) 広貴、炎魔王宮へ召る事
(84) 世尊寺に死人掘出す事
(85) 留志長者の事(前半) (後半)
(86) 清水寺に二千度参詣する者、双六に打入るる事
(87) 観音経、蛇に化して人輔け給う事(前半) (後半)
(88) 賀茂社より御幣紙米等給う事
(89) 信濃国筑摩湯に観音沐浴の事
(90) 帽子の叟、孔子と問答の事
(91) 僧伽多、羅刹国に行く事(上) (中) (下)
休題閑話 第六巻の適当訳後記

第七巻
(93) 五色の鹿の事(前半)(後半)
(93) 播磨守爲家の侍の事(前半)(後半)
(93) 三條の中納言水飯の事
(94) 検非違使、忠明の事
(95) 長谷寺参籠の男、利生に預る事
(96) 小野宮大饗の事、西宮殿富子路の大臣大饗の事(上)(中)(下)
(97) 式成、満、則員等三人滝口、弓芸の事
休題閑話 第七巻の適当訳後記

第八巻
(99) 大膳大夫以長、先駆の間の事
(100) 下野武正、大風雨日、参法性寺殿事
(101) 信濃国の聖の事(上)(中)(下)
(102) 敏行の朝臣の事(上)(中)(下)
(103) 東大寺華厳会の事
(104) 猟師仏を射る事
(105) 千手院僧正仙人
休題閑話 第八巻の適当訳後記

第九巻
(106) 滝口道則、術を習う事(上)(下)
(107) 宝志和尚、影の事
(108) 越前敦賀の女、観音たすけ給ふ事(1) (2)(3) (4)
(109) くうすけが佛供養の事(上) (中)(下)
(110) 恒正が郎等佛供養の事(上)(下)
(111) 歌よみて罪をゆるさるる事
(112) 大安寺別當女に嫁する男、夢見る事
(113) 博打聟入の事
休題閑話 第九巻の適当訳後記
 
第十巻
(114) 伴大納言応天門を焼く事(上)(下)
(115) 放鷹楽明暹に是季がならふ事
(116) 堀河院明暹に笛ふかさせ給ふ事
(117) 浄蔵が八坂坊に強盗入る事
(118) 播磨守定輔が事(上)(下)
(119) 吾妻人生贄を止むる事(1)(2)(3)(4)
(120) 豊前王の事
(121) 蔵人頓死の事
(122) 小槻当平の事
(123) 海賊発心出家の事(上)(中)(下)
休題閑話 第十巻の適当訳後記
 
第十一巻
(124) 青常の事(上)(下)
(125) 保輔盗人たる事
(126) 晴明を心みる僧の事
(127) 晴明蛙を殺す事
(128) 河内守頼信平忠恒をせむる事(上)(下)
(129) 白河法皇北面受領の下りのまねの事
(130) 蔵人得業猿沢池の竜の事
(131) 清水寺御帳たまはる女の事
(132) 則光盗人をきる事(上)(上)
(133) 空入水したる僧の事
(134) 日蔵上人吉野山にて鬼に逢ふ事
(135) 丹後守保昌下向の時致経父に逢ふ事
(136) 出家功徳の事

休題閑話 「今は昔」について
 
第十二巻
(137) 達磨天竺の僧の行を見る事
(138) 提婆菩薩竜樹菩薩の許に参る事
(139) 慈恵僧正受戒の日を延引する事
(140) 内記上人法師陰陽師の紙冠を破る事
(141) 持経者叡実効験の事
(142) 空也上人臂観音院僧正祈りなほす事
(143) 僧賀上人三条の宮に参り振舞の事
(144) 聖宝僧正一条大路をわたる事
(145) 穀断の聖不実露顕の事
(146) 季直少将歌の事
(147) 樵夫小童隠題歌よむ事
(148) 高忠侍歌よむ事
(149) 貫之歌の事
(150) 東人歌の事
(151) 河原院に融公の霊住む事
(152) 八歳童孔子と問答の事
(153) 鄭太尉の事
(154) 貧俗仏性を観じて富める事
(155) 宗行郎等虎を射る事(上)(下)
(156) 遣唐使の子虎に食はるる事


第十三巻
(161) 上緒の主金を得る事
(162) 元輔落馬の事
(163) 俊宣迷神にあふ事
(164) 亀を買ひてはなす事
(165) 夢買ふ人の事
(166) 大井光遠の妹強力の事
(167) 或唐人、女のひつじに生れたる知らずして殺す事
(168) 出雲寺別当の鯰になりたるを知りながら殺して食ふ事
(169) 念仏の僧魔往生の事
(170) 慈覚大師纐纈城に入り給ふ事
(171) 渡天の僧穴に入る事
(172) 寂昭上人鉢をとばす事
(173) 清滝川聖の事
(174) 優婆崛多弟子の事

休題閑話 第十三巻の適当訳後期


第十四巻
(175) 海雲比丘弟子童の事
(176) 寛朝僧正勇力の事
(177) 頼経蛇に逢ふ事
(178) 魚養の事
(179) 新羅国の后金榻の事
(180) 珠の価量り無き事
(181) 北面女雑使六の事
(182) 仲胤僧都連歌の事
(183) 大将つつしみの事
(184) 御堂関白御犬晴明等きどくの事
(185) 高階俊平が弟入道算術の事

休題閑話 第十四巻の適当訳後期


第十五巻
(186) 清見原天皇大友皇子と合戦の事
(187) 頼時が胡人見たる事
(188) 賀茂祭のかへり武正兼行御覧の事
(189) 門部府生海賊射かへす事
(190) 土佐の判官代通清、人たがひして関白殿に逢ひ奉る事
(191) 極楽寺僧仁王経を施す事
(192) 伊良縁の世恒毘沙門御下文の事
(193) 相応和尚都卒天にのぼる事附染殿の后祈り奉る事(上)(下)
(194) 仁戒上人往生の事
(195) 秦始皇天竺より来たる僧禁獄の事
(196) 後の千金の事
(197) 盗跖孔子と問答の事

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 これも今は昔。
 桂川へ身投げして仏果を得ようとする聖者が、
 それに先立ち、一条京極の祇陀林寺で百日懺法行という修行を始めたというので、
 これを拝もうと、近所から遠方から、道も通れないほどに女房車などが集った。

 その姿は、と見れば、三十歳過ぎの僧侶で、細い目は人と合わせることはなく、
 眠ったような半眼で時々、「阿弥陀仏」と申す声を発するが、
 それ以外では唇ばかりを動かして、ただ念仏を唱えているものと見えた。
 時々は、そっと息を吐くようにして、そこへ集った人たちの顔を見渡したので、
 集った者たちは聖者と目を合わせようと、こっちで押し合い、あっちで押し合いして、
 ひしめき合っていた。

 そうして桂川へ入水するという、当日。
 聖は朝早くからお堂へ籠っており、
 やがて、中へ入っていた僧たちが大勢、ぞろぞろ出てきたと思うと、
 その最後の雑役車に、紙の衣に袈裟などを着た例の聖者が乗り込んで、出てきた。

 何を申しているのか、唇だけを動かし、もう人々とは目を合わせず、時々大きく息を吐いた。
 道々に立ち並んだ見物人たちは、打ち米を、あられのように降らせて道を清める。

 と、これを見て聖は、
「何とも、こうして打ち米が目鼻に入って堪え難い。
 志があるのなら、米は紙袋などへ入れて、わしの居たところへ送れ」
 と、時々口にするので、何も知らない者は手を摺り合わせて拝んでいたが、
 いくらかでも道理を知る者は、
「なぜああやって聖は言うのか。もう今から水へ入ろうとするのに、
『祇陀林へやれ、目鼻に入って堪え難い』などと言うのは、おかしくないか」
 と、ささやいた。

 さて、車を走らせて七条の端へ車が運ばれて来れば、
 入水する聖者を一目拝もうと、
 そこには京都どころではなく、河原の石よりも多くの人が集っていた。
 川端へ車を寄せて止めると、聖者は、
「ただ今は、何刻ぞ」
 と尋ねる。

 供についていた僧侶たちが、
「申の下刻になったところだ」
 と言えば、
「往生の刻限には、まだ間がある。今すこし暮れるのを待とう」
 と聖は言った。

 これを待ちかねて、遠くから来たものなどが帰り始めるので、
 河原の人出はいくらか減ってきたが、それでも、見届けようという者は変らず立っていた。
 しかし、その中にも僧侶などが、
「往生するのに刻限などを定めるであろうか。おかしな話だ」
 と呟く。

 そうこうしているうちに、いよいよ聖がふんどし姿で西に向い、川へざぶりと入ったが、
 舟べりの縄へ足をかけたまま、ずぶんとは沈み込まず、もがいている。
 それで弟子の僧侶が縄を外してやったところ、
 聖は逆さまに沈んで、ごぶごぶとするばかり。
 これを見かねて、近くで見ようと川中で立っていた男が、聖の手を取り、引き上げてみれば、
 聖は両手で顔をこすりながら、口の中の水を吐き出すなり、
 引き上げた男へ向い、手を摺り合わせて、
「広大無辺のこのご恩は、極楽に参った後にお返し申します」
 と、岸へ上がってしまったため、
 そこらへ集った者や京童どもが、河原の石をとって、ばらまき浴びせるように投げつけた。

 全裸の法師は、河原を下流へ下流へと逃げて行くが、
 町衆が石を受け取り受け取り、投げ打ったため、とうとう僧侶は頭を割られたらしい。

 ちなみにその後、この法師であろうか、
 誰かのもとへ、大和から瓜が送られてきた時の手紙の上書きに、
「前の入水の上人」
 と書いてあったという話である。





原文
空入水シタル僧事
これも今は昔、桂川に身投げんずる聖とて、まづ祇蛇林寺にして、百日懺法行ひければ、近き遠きものども、道もさりあへず、拝みにゆきちがふ女房車などひまなし。
見れば、卅余斗なる僧の、細やかなる目をも、人に見合はせず、ねぶり目にて、時々阿弥陀仏を申。そのはざまは唇ばかりはたらくは、念仏なんめりと見ゆ。又、時々、そゝと息をはなつやうにして、集ひたる者どもの顔を見渡せばその目に見合せんと集ひたる者ども、こち押し、あち押し、ひしめきあひたり。さて、すでにその日のつとめては堂へ入て、さきにさし入たる僧ども、おほく歩み続きたり。尻に雑役車に、この僧は紙の衣、袈裟など着て、乗りたり。何といふにか、唇はたらく。人に目も見合はせずして、時々大息をぞはなつ。行道に立なみたる見物のものども、うちまきを霰の降るやうになか道す。聖、「いかに、かく目鼻に入る。堪へがたし。心ざしあらば、紙袋などに入て、我居たりつる所へ送れ」と時々いふ。これを無下の者は、手をすりて拝む。すこし物の心ある者は、「などかうは、此聖はいふぞ。たゞ今、水に入なんずるに、「きんだりへやれ。目鼻に入、堪へがたし」などいふこそあやしけれ」などさゝめく物もあり。
さて、やりもてゆきて、七条の末にやり出したれば、京よりはまさりて、入水の聖拝まんとて、河原の石よりもおほく、人集ひたり。河ばたへ車やり寄せて立てれば、聖、「たゞ今は何時ぞ」といふ。供なる僧ども、「申のくだりになり候にたり」といふ。「往生の刻限には、まだしかんなるは。今すこし暮らせ」といふ。待かねて、遠くより来たるものは帰などして、河原、人ずくなに成ぬ。これを見果てんと思たる者はなを立てり。それが中に僧のあるが、「往生には剋限やは定むべき。心得ぬ事かな。」といふ。
とかくいふほどに、此聖、たうさきにて、西に向ひて、川にざぶりと入程に、舟ばたなる縄に足をかけて、づぶりとも入らで、ひしめく程に、弟子の聖はづしたれば、さかさまに入て、ごぶごぶとするを、男の、川へ下りくだりて、「よく見ん」とて立てるが、此聖の手をとりて、引上たれば、左右の手して顔はらひて、くゝみたる水をはき捨てて、この引上たる男に向ひて、手をすりて、「広大の御恩は極楽にて申さぶらはむ」といひて、陸へ走のぼるを、そこら集まりたる者ども、童部、河原の石を取て、まきかくるやうに打。裸なる法師の、河原くだりに走るを、集ひたる者ども、うけとりうけとり打ければ、頭うち割られにけり。
此法師にやありけん、大和より瓜を人のもとへやりけるに文の上書に、「前の入水の上人」と書きたりけるとか。



適当訳者の呟き:
ひさしぶりの、馬鹿ばなしですね。

祇蛇林寺:
ぎだりんじ。京都市上京区寺町丸太町の南方にありました。今は焼けてありません。

百日懺法行
ひゃくにちせんぽうぎょう。どんなものか、具体的には不明ですが、wikipediaによりますと、天台宗の法要儀式に懺法と言うものがあるそうで、「懺法とは、自ら知らず知らずの内に作った諸悪の行いを懺悔(さんげ)して、お互いの心の中にある『むさぼり・怒り・愚痴』の三毒を取り除き、自分の心をさらに静め清らかにする儀式」だそうです。
よく分りませんが、とりあえず反省するのですね。

申のくだり:
申の下刻。午後5時くらい。夕方。

上書:
うわがき。封書・書物・箱などの表面にあて名・表題・名称などを書くこと――ですが、この場合は、差出人のことだと思われます。
ちなみに、「上書き保存」は、本来の日本語的にはおかしいようです。









 

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