この清明がある時、広澤の僧正の宿坊へ出向き、
あれこれ話をしているうち、若い僧侶たちから、
「式神をお使いになるということは、即座に人を殺すこともできますか」
と質問された。
清明は、
「容易には殺せません。殺すのなら力を入れます」
とはいえ虫などは、少しの力で必ず殺せます。
しかし私は、生き返らせる方法を知りませんので、それでは罪を得ることになり、
そのような殺生、する意味もありません」
と話しているうちに、庭へカエルが出てきた。
五匹、六匹が飛び跳ねながら池の方へ行くのを見て、僧侶が、
「ではあれをひとつ、試みに殺してください」
と言うので、
「罪つくりの御坊ですね。しかし、試されているのであれば、殺してご覧に入れる」
と、草の葉を一枚、摘み切ると、何かを読み上げるようにして、
蛙の方へ、その草葉を投げ遣った。
ふわりと、葉が蛙の上へ乗った、
と見えた瞬間、蛙が真っ平らにひしゃげて圧死したものだから、
見ていた僧侶たちも顔色を変えて恐ろしいと思った。
家の中に人がいない時にも、清明はこの式神を使っていたらしい。
ゆえに誰もいないのに蔀が開閉し、門を閉ざしたと言われている。
原文
晴明かへる殺事
この晴明、あるとき、廣澤の僧正の御房に参りて、もの申うけたまはりけるあひだ、若僧どもの、晴明にいふやう、「式神を使給なるは、たちまちに人をば殺し給や」といひければ、「やすくはえ殺さじ。力をいれて殺してん」といふ。「さて蟲なんどをば、少のことせんに、かならず殺しつべし。さて生くるやうを知らねば、罪を得つべければ、さやうのこと、よしなし」といふほどに、庭にかはづの出きて、五六(いつつむつ)ばかり躍りて、池のかたざまへ行けるを、「あれひとつ、さらば殺し給へ。試みん」と、僧のいひければ、「罪をつくり給御坊かな。されども試み給へば、殺て見せ奉らん」とて、草の葉をつみきりて、物を誦やうにして、かへるのかたへ投げやりければ、その草の葉の、かへるの上にかゝりければ、かへる、まひらにひしげて、死にたりけり。これをみて、僧どもの色かはりて、おそろしと思けり。
家の中に人なき折りは、この式神をつかひけるにや、人もなきに、蔀をあげおろし、門をさしなどしけり。
適当役者の呟き
清明さん。。。
廣澤の僧正:
広沢の僧正、寛朝。平安時代中期の真言宗の僧。
宇多天皇の孫で、洛外・広沢の池のほとりに遍照寺という寺を開山した模様。
日本で三番目の大僧正。(1.行基、2.良源)
平将門の乱の時には、わざわざ関東へ下って祈祷したそうです。ちなみにそのとき僧正が祈祷に使った不動明王を、今も本尊としているのが、節分とかで有名な成田山新勝寺だそうです。へえー。
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