これも今は昔、了延房阿闍梨が、日吉神社へ参詣した帰り道のこと。
琵琶湖畔、唐崎の辺りを通り過ぎつつ、
「有相安楽行 此依観思」
というお経を口にしたところ、波の中から、
「散心誦法花 不入禅三昧」
と、続きの経文句を誦す声が聞こえてきた。
不思議の念を覚え、
「いかなる人がおわしますのか」
と問うと、
「具房僧都・実因である」
と名乗るので、了延房は汀に座り込み、法文についての問答を始めた。
しばらく続けるうち、ふと波の中の実因が間違ったことを答えたから、
「それでは道理に合いません。いかがでございますか」
と問うと、
「はあ。それで良いと思うて答えたが、なにぶん、
生死を隔てた我が身なれば、力及ばぬことであった。
とはいえ、我なればこそ、
死んだ後にも、このように問答することができるのだぞ」
と答えたという。
原文
了延に実因湖水の中より法文の事
こ れも今は昔、了延房阿闍梨、日吉の社へ参りて帰る。唐崎の辺を過ぐるに、「有相安楽行、此依観思」といふ文誦したりければ、波中に、「散心誦法花、不入禅三昧」 と、末の句をば誦する声あり。不思議の思をなして、「いかなる人のおはしますぞ」と問ひければ、具房僧都実因と名のりければ、汀に居て法文を談じけるに、少々僻事ども答へければ、「これは僻事なり。いかに」と問ひければ、「よく申すとこそ思ひ候へども、生を隔てぬれば、力及ばぬ事なり。我なればこそこれ程も申せ」といひけるとか。
適当役者の呟き:
負け惜しみが、なかなか好きな感じです。
了延房阿闍梨:
りょうえんぼう・あじゃり。
阿闍梨は、「師匠」の意味。了延さんについては、分りません。
具房僧都実因:
こちらは検索したら出ました。
945-1000平安時代中期の僧。
天慶8年生まれ。千観の弟。天台宗。比叡山の延昌の弟子となり,西塔具足房にすむ。長徳4年大僧都,極楽寺座主。のち河内小松寺に隠棲した。長保2年8月12日死去。56歳。京都出身。俗姓は橘。通称は小松僧都、具房僧都。
今昔物語の方には、この実因さんの話が出ていまして、実因さん、足の指で胡桃を割ったり、追剥ぎをあべこべに懲らしめたりと、ものすごい力持だったようです。
有相安楽行 此依観思 散心誦法花 不入禅三昧:
うさんあんらくぎやう、しいくわんし、さんしんじゆほふけ、ふにふぜんさんまい。
前半はちょっと見つかりませんでしたが、後半は、「散心に法華を誦し禅三昧に入らず」
前半、「有相安楽行」は、「法華経」普賢勧発品によって「法華経」の読誦に精進し六牙の象に乗る普賢菩薩の像相をみて心眼を開くのが有相行――という説明で分るかも。
とりあえず、ありがたい法華経を唱えまくって、禅などに心を奪われない、というような句ですね。
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