【ひとつ戻る】
さて国俊は、僧正がいつも、
湯舟に細かく切った藁をいっぱいに入れ、上にむしろを敷くと、
あちこち歩き回ったあとで湯殿へ入るや、遠慮躊躇なく、
「えさい、かさい、とりふすま!」
のかけ声とともに、むしろを敷いた湯舟へドッスンと飛び込むことを喜びにしている
――そんな奇癖のあることを思い出した。
国俊は湯殿へ行くと、湯船の筵をあげて、中の藁をみんな取り出して丸めると、
かわりに湯桶を押し込み、その上へ、裏返しにした囲碁盤を隠しておいた。
そしてさらに待つこと、2-3時間。
ようやく僧正が小門から帰ってくる音がするので、
国俊は大門から入れ違いに表へ出ると、車を呼び寄せ、
車の後ろへ、湯舟から取り出した藁を押し込むと、
牛飼いの子供に、
「牛もあちこち歩いて疲れただろうで、この藁を牛に食わせよ」
と命じておいた。
一方の僧正は、いつものことなので、
せかせかと着物を脱ぎ、湯殿へ駆け込むや、
「えさい、かさい、とりふすま!」
叫びつつ、思いきりよく湯舟へ躍り込んだところ、
裏返しにした碁盤の足が、激しく尻骨へぶち当たったため、
何ぶん年寄りのことだから死んだようにそっくり返ってぐうの音も言わなくなった。
側に使う坊主が近寄ると、白目を剥いて気絶している。
「どうされましたか!」
と呼びかけても返事は無く、顔に水をかけるなどして、
ようやく息を吹き返すと、かすかに声を発したという。
ひどいいたずらもあったものである。
原文
鳥羽僧正与国俊たはぶれ(つづき)
僧正は定まりたる事にて湯舟に藁をこまごまと切りて一はた入れて、それが上に筵を敷きて、歩きまはりては、 左右なく湯殿け行きて裸になりて、「えさい、かさい、とりふすま」といひて、湯舟にさくとのけざまに臥す事をぞし給ひける。陸奥前司、寄りて筵を引きあげて見れば、まことに藁をみな取り入れてよく包みて、その湯舟に湯桶をしたに取り入れて、それが上に囲碁盤を裏返して置きて、筵を引き掩ひて、さりげなくて、垂布に包みたる藁をば大門の脇に隠し置きて、待ちゐたる程に、二時余りありて、僧正、小門より帰る音しければ、ちがひて大門へ出でて、帰りたる車呼び寄せて、車の尻にこの包みたる藁を入れて、家へはやらかにやりて、おりて、「この藁を、牛のあちこち歩き困じたるに、食はせよ」とて、牛飼童に取らせつ。
僧正は例の事なれば、衣脱ぐ程もなく、例の湯殿へ入りて、「えさい、かさい、とりふすま」といひて湯舟へ躍りり入りて、のけざまに、ゆくりもなく臥したるに、碁盤の足のいかり差し上りたるに尻骨を荒う突きて、年高うなりたる火との、死に入 りて、さし反りて臥したりけるが、その後音なかりければ、近う使ふ僧寄りて見れば、目を上に見つけて死に入りて寝たり。「こはいかに」といへど、いあへもせず。寄りて顔に水吹きなどして、とばかりありてぞ息の下におろおろいはれける。この戯れ、いとはしたなかりけるにや。
適当訳者の呟き
あほや。。。
湯舟:
平安時代なので、基本的に蒸し風呂ですね。
えさい、かさい、とりふすま:
意味不明。ホップ、ステップ、ジャンプ――などのかけ声の一種だと書いているサイトがありました。
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