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宇治拾遺物語 現代語訳ブログ

中世日本の説話物語集「宇治拾遺物語」を現代語にして行く適当な個人ブログです。
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【宇治拾遺物語 総目次】 【このブログについて】
  
わたくし版現代語訳 目次
第一巻
(序) 宇治拾遺物語について
(1) 道命阿闍梨読経し五條道祖神聴聞する事
(2) 丹波国篠村、平茸のこと
(3) 鬼にこぶとらるる事(前半)(後半)
(4) 伴大納言の事
(5) 隨求陀羅尼を額に籠める法師の事
(6) 玉茎検知のこと
(7) 鹿の身代わり
(8) 易の占、金取出す事
(9) 宇治殿倒れさせ給いて実相房僧正験者に召るる事
(10) 秦兼久、通俊卿に向いて悪口の事
(11) 一生不犯僧
(12) 児のかいもちひするに空寝したる事
(13) 田舎児桜散みて泣く事
(14) 小藤太、婿におどさる
(15) 大童子鮭ぬすみたる事
(16) 尼、地蔵を見奉る事
(17) 修行者、百鬼夜行に遭うこと
(18) 利仁芋粥の事 (上) (中) (下)
休題閑話 第一巻の適当訳後記

第二巻
(19) 清徳聖、奇特の事
(20) 静観僧正祈る、雨を法験の事
(21) 静観僧正、大嶽の岩祈り失ふ事
(22) 金峰山の金箔打ち
(23) 紀用経の荒巻鯛 (前半) (後半)
(24) 厚行、死人を家より出すこと
(25) 鼻長僧の事(前半) (後半)
(26) 晴明、蔵人少将を封ずる事
(27) 季通、災いに遭はむとする事(前半) (後半)
(28) 袴垂、保昌に会う事
(29) あきひら欲合殃事
(30) 唐卒都婆、血つく事
(31) 成村、強力の学士に会う事
(32) 柿の木に仏現ずる事
休題閑話 第二巻の適当訳後記

第三巻
(33) 大太郎盗人事(前半) (後半)
(34) 藤大納言忠家物言女、放屁の事
(35) 小式部内侍定頼卿の経にめでたる事
(36) 山ぶし舟祈返事
(37) 鳥羽僧正与国俊たはぶれ(前半) (後半)
(38) 絵仏師良秀家の焼をみてよろこぶこと
(39) 虎の鰐取たる事
(40) 樵夫、歌の事
(41) 伯母の事(前半) (後半)
(42) 同人仏事事
(43) 藤六の事
(44) 多田しんぼち郎等事
(45) いなばの国別当地蔵作さす事
(46) 臥見修理大夫俊綱事
(47) 長門前司女さうそうの時本所にかへる事
(48) 雀報恩事(上) (中) (下)
(46) 小野篁、広才の事
(50) 平貞文・本院侍従事(前半) (後半)
(51) 一条摂政歌事
(52) 狐家に火つくる事
休題閑話 第三巻の適当訳後記

第四巻
(53) 狐人につきてしとぎ食う事
(54) 左渡国に金ある事
(55) 薬師寺別富事
(56) 妹背嶋の事
(57) 石橋の下の蛇の事(前半) (後半)
(58) 東北院の菩提講の聖の事
(59) 三川の入道遁世の事(前半) (後半)
(60) 進命婦清水寺参事
(61) 業遠朝臣蘇生の事
(62) 篤昌忠恒等の事
(63) 後朱雀院丈六の佛作り奉り給ふ事
(64) 式部大輔実重賀茂の御正体拝み奉る事
(65) 智海法印癩人法談の事
(66) 白河院おそはれ給ふ事
(67) 永超僧都魚食ふ事
(68) 了延に実因湖水の中より法文の事
(69) 慈恵僧正戒壇築かれたる事
休題閑話 第四巻の適当訳後記

第五巻

(70) 四宮河原地蔵の事
(71) 伏見修理大夫の許へ殿上人ども行き向う事
(72) 以長、物忌の事
(73) 範久阿闍梨、西方を後にせぬ事
(74) 陪従家綱行綱、互ひに謀りたる事(前半) (後半)
(75) 同清仲の事
(76) 仮名暦あつらへたる事
(77) 実子にあらざる子の事(前半) (後半)
(78) 御室戸僧正事、一乗寺事(前半) (後半)
(79) ある僧人の許にて氷魚盗み食ひたる事
(80) 仲胤僧都、地主權現説法の事
(81) 大二条殿に小式部内侍歌読みかけ奉る事
(82) 山横川賀能地蔵の事
休題閑話 第五巻の適当訳後記

第六巻

(83) 広貴、炎魔王宮へ召る事
(84) 世尊寺に死人掘出す事
(85) 留志長者の事(前半) (後半)
(86) 清水寺に二千度参詣する者、双六に打入るる事
(87) 観音経、蛇に化して人輔け給う事(前半) (後半)
(88) 賀茂社より御幣紙米等給う事
(89) 信濃国筑摩湯に観音沐浴の事
(90) 帽子の叟、孔子と問答の事
(91) 僧伽多、羅刹国に行く事(上) (中) (下)
休題閑話 第六巻の適当訳後記

第七巻
(93) 五色の鹿の事(前半)(後半)
(93) 播磨守爲家の侍の事(前半)(後半)
(93) 三條の中納言水飯の事
(94) 検非違使、忠明の事
(95) 長谷寺参籠の男、利生に預る事
(96) 小野宮大饗の事、西宮殿富子路の大臣大饗の事(上)(中)(下)
(97) 式成、満、則員等三人滝口、弓芸の事
休題閑話 第七巻の適当訳後記

第八巻
(99) 大膳大夫以長、先駆の間の事
(100) 下野武正、大風雨日、参法性寺殿事
(101) 信濃国の聖の事(上)(中)(下)
(102) 敏行の朝臣の事(上)(中)(下)
(103) 東大寺華厳会の事
(104) 猟師仏を射る事
(105) 千手院僧正仙人
休題閑話 第八巻の適当訳後記

第九巻
(106) 滝口道則、術を習う事(上)(下)
(107) 宝志和尚、影の事
(108) 越前敦賀の女、観音たすけ給ふ事(1) (2)(3) (4)
(109) くうすけが佛供養の事(上) (中)(下)
(110) 恒正が郎等佛供養の事(上)(下)
(111) 歌よみて罪をゆるさるる事
(112) 大安寺別當女に嫁する男、夢見る事
(113) 博打聟入の事
休題閑話 第九巻の適当訳後記
 
第十巻
(114) 伴大納言応天門を焼く事(上)(下)
(115) 放鷹楽明暹に是季がならふ事
(116) 堀河院明暹に笛ふかさせ給ふ事
(117) 浄蔵が八坂坊に強盗入る事
(118) 播磨守定輔が事(上)(下)
(119) 吾妻人生贄を止むる事(1)(2)(3)(4)
(120) 豊前王の事
(121) 蔵人頓死の事
(122) 小槻当平の事
(123) 海賊発心出家の事(上)(中)(下)
休題閑話 第十巻の適当訳後記
 
第十一巻
(124) 青常の事(上)(下)
(125) 保輔盗人たる事
(126) 晴明を心みる僧の事
(127) 晴明蛙を殺す事
(128) 河内守頼信平忠恒をせむる事(上)(下)
(129) 白河法皇北面受領の下りのまねの事
(130) 蔵人得業猿沢池の竜の事
(131) 清水寺御帳たまはる女の事
(132) 則光盗人をきる事(上)(上)
(133) 空入水したる僧の事
(134) 日蔵上人吉野山にて鬼に逢ふ事
(135) 丹後守保昌下向の時致経父に逢ふ事
(136) 出家功徳の事

休題閑話 「今は昔」について
 
第十二巻
(137) 達磨天竺の僧の行を見る事
(138) 提婆菩薩竜樹菩薩の許に参る事
(139) 慈恵僧正受戒の日を延引する事
(140) 内記上人法師陰陽師の紙冠を破る事
(141) 持経者叡実効験の事
(142) 空也上人臂観音院僧正祈りなほす事
(143) 僧賀上人三条の宮に参り振舞の事
(144) 聖宝僧正一条大路をわたる事
(145) 穀断の聖不実露顕の事
(146) 季直少将歌の事
(147) 樵夫小童隠題歌よむ事
(148) 高忠侍歌よむ事
(149) 貫之歌の事
(150) 東人歌の事
(151) 河原院に融公の霊住む事
(152) 八歳童孔子と問答の事
(153) 鄭太尉の事
(154) 貧俗仏性を観じて富める事
(155) 宗行郎等虎を射る事(上)(下)
(156) 遣唐使の子虎に食はるる事


第十三巻
(161) 上緒の主金を得る事
(162) 元輔落馬の事
(163) 俊宣迷神にあふ事
(164) 亀を買ひてはなす事
(165) 夢買ふ人の事
(166) 大井光遠の妹強力の事
(167) 或唐人、女のひつじに生れたる知らずして殺す事
(168) 出雲寺別当の鯰になりたるを知りながら殺して食ふ事
(169) 念仏の僧魔往生の事
(170) 慈覚大師纐纈城に入り給ふ事
(171) 渡天の僧穴に入る事
(172) 寂昭上人鉢をとばす事
(173) 清滝川聖の事
(174) 優婆崛多弟子の事

休題閑話 第十三巻の適当訳後期


第十四巻
(175) 海雲比丘弟子童の事
(176) 寛朝僧正勇力の事
(177) 頼経蛇に逢ふ事
(178) 魚養の事
(179) 新羅国の后金榻の事
(180) 珠の価量り無き事
(181) 北面女雑使六の事
(182) 仲胤僧都連歌の事
(183) 大将つつしみの事
(184) 御堂関白御犬晴明等きどくの事
(185) 高階俊平が弟入道算術の事

休題閑話 第十四巻の適当訳後期


第十五巻
(186) 清見原天皇大友皇子と合戦の事
(187) 頼時が胡人見たる事
(188) 賀茂祭のかへり武正兼行御覧の事
(189) 門部府生海賊射かへす事
(190) 土佐の判官代通清、人たがひして関白殿に逢ひ奉る事
(191) 極楽寺僧仁王経を施す事
(192) 伊良縁の世恒毘沙門御下文の事
(193) 相応和尚都卒天にのぼる事附染殿の后祈り奉る事(上)(下)
(194) 仁戒上人往生の事
(195) 秦始皇天竺より来たる僧禁獄の事
(196) 後の千金の事
(197) 盗跖孔子と問答の事

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 これも今は昔、
「月の大将、星をおかす」
 と、天文博士が勘文、答申書を奉った。

 これに基づき、
「近衛大将は、厳重に身を慎むべし」
 と命令が下ったので、小野宮右大将は、自分でもさまざまな祈祷をし、
 また春日大社、山階寺などにも入念に祈祷させた。

 さて、その時分の左大将は、枇杷左大将・藤原仲平という人で、
 祈祷の師は、東大寺の法蔵僧都であった。
 僧都は、定めし自分のところへも祈祷のことを言ってくるだろうと思っていたが、
 何も連絡が来ないので、不安になり、自分から都へのぼって、
 枇杷左大将の屋敷を訪れた。

 応対した左大将が、
「僧都は、どうして都へおいでになったのですか」
 と尋ねると、法蔵僧都は、
「奈良におって聞けば、左右の大将はお慎みあるべしと天文博士が奏上した由。
 小野宮の右大将の方は、すでに春日大社や山城寺へ、さまざまな祈祷をさせているので、
 枇杷の左大将、あなた様におかれても、定めし祈祷を始めていると存じておりましたが、
 人に聞く限り、そのようなことは無いと、みなが申すので、
 どうしたことかと不安になり、こうして伺った次第。
 ご祈祷のこと、始めた方がよろしいと存じますが、いかがですか」

 そんなふうに言うと、左大将は、
「仰るとおり。しかし、『大将は慎むべし』と言われて、私まで慎んでしまっては、
 すでに祈祷をしている右大将に悪いと思うのです。
 小野宮の右大将は、才能もあり、年も若い。これから長く、朝廷にお仕えすべき人ですが、
 わたくしなどは、するべきこともない、年も老いた身。
 どうなろうと、何ほどのこともないと思えば、祈らなくても良いと思うのです」

 その答えを聞いた僧都は、ほろほろと泣き出し、
「百万のご祈祷にも勝るでしょう。
 そのようにやさしいお心であれば、決して、恐ろしいようなことは起きません」
 と、退出するのだった。

 その後枇杷左大将は、本当に何事もなく、大臣にまで出世し、
 七十過ぎまで健在であったという。





原文
大将つつしみの事
これも今は昔、「月の大将星をおかす」といふ勘文(かんもん)を奉れり。よりて、「近衛大将重く慎み給ふべし」とて、小野宮右大将はさまざまの御祈(いのり)どもありて、春日社(かすがのやしろ)、山階寺などにも御祈あまたせらる。
その時の左大将は、枇杷左大将(びはのさだいしやう)仲平と申す人にてぞおはしける。東大寺の法蔵僧都は、この左大将の御祈の師なり。定めて御祈の事ありなんと待つに、音もし給はねば、おぼつかなきに京に上りて、枇杷殿に参りぬ。殿あひ給ひて、「何事にて上られたるぞ」とのたまへば、僧都申しけるやう、「奈良にて承れば、左右大将慎み給ふべしと、天文博士勘(かんが)へ申したりとて、右大将殿は、春日社、山階寺などに御祈さまざまに候へば、殿よりも、定めて候ひなんと思ひ給へて、案内つかうまつるに、『さる事も承らず』と、皆申し候へば、おぼつかなく思ひ給へて、参り候ひつるなり。なほ御祈候はんこそよく候はめ」と申しければ、左大将のたまふやう、「もとも然るべき事なり。されどおのが思ふやうは、大将の慎むべしと申すなるに、おのれも慎まば、右大将のために悪しうもこそあれ。かの大将は、才(ざえ)もかしこくいますかり。年も若し。長くおほやけにつかうまつるべき人なり。おのれにおきては、させる事もなし。年も老いたり。いかにもなれ、何条事かあらんと思へば、祈らぬなり」とのたまひければ、僧都ほろほろとうち泣きて、「百万の御祈にまさるらん。この御心の定(ぢやう)にては、ことの恐り更に候はじ」といひてまかでぬ。されば実に事なくて、大臣になりて、七十余までなんおはしける。



適当訳者の呟き:
若者を思いやる老人のお話ですね。

小野宮右大将:
藤原実頼(900-970年)。
小野宮流は、藤原北家の嫡流ですが、道長に至る九条流に勢い負けてしまいました。
でも、名門としての格式とプライド、財力、そして才能は平安貴族随一だったと思われます。
ちなみに実頼の孫で、自分の養子とした「小野宮右大臣」こと、藤原実資は、
巻七 (97)小野宮大饗の事、西宮殿・富子路大臣大饗の事
巻十 (121)蔵人頓死のこと
にも出てきまして、いずれもかっこいい貴族として描かれています。
※宇治拾遺は小野宮びいきという印象があります。

枇杷左大将:
藤原仲平(875-945年)。摂政関白・藤原基経の三男。
左京一条にある枇杷第を所有していたので、枇杷の大臣とか呼ばれたようです。
小野宮の右大将・藤原実頼は、この仲平さんの甥。弟(忠平)の長男です。
藤原道長からすると、曾祖父の弟に当ります。

法蔵僧都:
藤原氏出身の、東大寺の高僧(905-969年)。
日本における宿曜道の祖ということで、陰陽道にも詳しかった模様。

されば実に事なくて、大臣になりて:
小野宮の右大将も、枇杷左大将も、二人とも大臣にまで昇進して、長生きしてます。












 

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