慈恵僧正・良源が、比叡山の座主に就いていた時のこと。
受戒の儀式を執り行う当日、決められたとおりの用意も済ませて、
あとは座主の出仕を待つだけだ、というところで、
急に、座主が引き返してしまったため、
供の者たちは、これはどうしたことだ――と、不審がった。
集っていた衆徒も諸職人も、
「日も定められた、これほどの大事を今このときになって、
大した支障もないのに、延期するとは、あるべきことではないぞ」
と、非難すること限りなかった。
諸国の沙弥たちも集まり、受戒の儀を行うようざわついていると、
横川の小綱が、使いとしてやって来て、
「今日の受戒は延引なり。今日の分は、別の催しに従って、行われることになるであろう」
と仰せが下されたため、
「何を理由に延期するのだ」
と尋ねるが、使いは、
「その理由はまったく知りません。ただ走って、この由を伝えて来いとの仰せでした」
と言うばかり。
集った人々、それぞれ心得えない思いをしつつ、ともかく退散するのだった。
そうして、昼過ぎて、未の時になると大風が吹いて、南門がいきなり倒壊した。
と、この時になって人々は、
このことがあると事前に悟り、延引させたのかと合点が行った。
受戒を行っていれば、そこらの人々はみな巻き込まれ、打ち殺されていただろうと、
大きな声で話し合うのだった。
原文
慈恵僧正受戒の日延引の事
慈恵僧正良源、座主の時、受戒行ふべき定日(ぢやうにち)、例のごとく催設けて、座主の出仕を相待つの所に、途中よりにはかに帰り給へば、供の者ども、こはいかにと、心得難く思ひけり。衆徒、諸職人(しきじん)も、「これ程の大事、日の定りたる事を、今となりて、さしたる障もなきに、延引せしめ給ふ事、然るべからず」と謗ずる事限なし。諸国の沙弥らまでことごとく参り集りて、受戒すべき由思ひ居たる所に、横川(よかは)の小綱を使にて、「今日の受戒は延引なり。重ねたる催に随ひて行はるべきなり」と仰せ下しければ、「何事によりてとどめ給ふぞ」と問ふ。使、「全くその故を知らず。ただ早く走り向かひて、この由を申せとばかりのたまひつるぞ」といふ。集れる人々、おのおの心得ず思ひて、みな退散しぬ。
かかる程に、未の時ばかりに、大風吹きて、南門にはかに倒れぬ。その時人々この事あるべしとかねて悟りて、延引せされけると思ひ合せけり。受戒行はれましかば、そこばくの人々みな打ち殺されなましと、感じののしりけり。
適当訳者の呟き:
だったら教えてあげれば良いのに。
慈恵僧正良源:
お豆大好き大師の良源さん。日本で二番目の僧正。比叡山延暦寺の中興の祖。
宗徒、諸職人、沙弥
宗徒は叡山の坊主。
諸職人は、従業員。
沙弥は、頭を丸めただけの、正式な受戒手続きをしていない者。
[3回]
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