むかし、ばくち打ちの若い子供が、
目と鼻とが一カ所に集ったような、この世の者とも思われない顔をしていた。
両親は、こんな息子が、どうしたら世間で生きて行けるだろうと悩んでいたが、
あるとき、長者の家に仕える娘から、
長者の妻が、「顔の良い婿をとりたいものだ」と口にしていることを聞いた。
それで、
「天下の顔よしと言われる息子が、どこかの婿になろうと口にしているぞ」
と広めると、長者の方から喜んで、
「婿にとろう」
と言って来て、良い日を選び、結婚の約束をした。
さて当日。
夜になって、婚礼の着物などを人から借りて来ると、
月は明るかったものの、婿の顔が見えないような恰好をさせた。
そして、集っていた博徒どもを大勢連れて行けば、
まず、立派な人のように見えたから、迎える長者たちも満足した。
そうして、しばらくは夜の間だけ通っていたが、やがて夜のうちに帰れず、
明るくなった後も、ともに寝るような運びになってしまったから、
さてどうしたものかと考えを巡らせた。
博徒の一人が、長者の家の天井裏へ入ると、
二人が眠っている真上を、ひしひしと踏み鳴らし、いかめしくも恐ろしげな声を発して、
「天下の顔良しよ」
と鬼のように呼び立てた。
これを聞くなり、家の中が、何の声だとうろたえると、婿もたいへんおびえて、
「わ、私こそ世間で、天下の顔良し、と呼ばれている者ですが、どのような御用ですか」
と尋ねれば、鬼の方では、三度まで呼び立てた挙句、
「この家の娘は、わしのものとして三年になるのを、
汝、いかなる意図で、このように通い来るのだ」
と言った。
婿は、
「まさかそのようなこととも知らず、通っておりました。ただただ、お助け下さい」
と言えば、
「実に実に憎きことであれば、何か一つ、仇を為して帰る。
汝、生命と姿かたちと、どちらが惜しいか」
と尋ねる。
婿が、
「ど、どのように答えたら」
と言うと、長者である舅も、姑も、
「どうして姿かたちなど。命さえあれば良い。ただ姿かたちを、と答えなさい」
と言うので、そのとおりに答えたところ、鬼が、
「では吸うぞ吸うぞ」
と言うなり、婿は顔を抱えて、
「あら、あら」
と叫び、転げ回り、その間に鬼は歩いて帰っていった。
そうして、
「顔はどうなったか」
と、明りをともして人々が見れば、
婿の顔は、目と鼻とが一カ所に取り付けられたような醜いありさまになっていた。
婿は泣き出して、
「命をと申すべきであったのです。このような姿で世に生き残ったとてどうなりましょう。
せめてこんな姿になる前に、皆様に私の顔を一目お目にかけず、
しかもあのように恐ろしい物に取り憑かれた家へ婿入りしたことは、大きな過ちでした」
と嘆けば、舅も哀れに感じて、
「せめてそのかわりとして、わしの所有する宝をさしあげよう」
と、いろいろ世話を焼いてくれるから、婿が内心喜んでいると、さらに、
「ここは場所が悪いから」
と、別に立派な家を建ててそこへ住まわされたので、
ついに、婿は裕福に暮すことができたという。
原文
博打聟入の事
昔、博打の子の年わかきが、目鼻一所にとりよせたるやうにて、世の人にも似ぬありけり。ふたりの親、これいかにして世にあらせんずると思て有けるところに、長者の家にかしづく女のありけるに、顏よからん聟とらんと、母のもとめけるをつたへ聞きて、「天(あめ)の下の顏よしといふ、「むこのならん」とのたまふ」といひければ、長者、よろこびて、「聟にとらん」とて、日をとりて契てけり。その夜になりて、裝束など人にかりて、月はあかゝりけれど、顏みえぬやうにもてなして、博打ども集りてありければ、人々しくおぼえて、心にくゝ思ふ。
さて、夜々いくに、昼ゐるべきほどになりぬ。いかゞせんと思めぐらして、博打一人、長者の家の天井にのぼりて、ふたりねたる上の天井を、ひしひしとふみならして、いかめしくおそろしげなる聲にて、「天の下の顏よし」とよぶ。家のうちのものども、いかなることぞと聞きまどふ。聟、いみじくおぢて、「おのれこそ、世の人「天の下の顏よし」といふと聞け。いかなることならん」といふに、三度までよべば、いらへつ。「これはいかにいらへつるぞ」といへば、「心にもあらで、いらへつるなり」といふ。鬼のいふやう、「この家のむすめは、わが領じて三年になりぬるを、汝、いかにおもひて、かくは通ふぞ」といふ。「さる御事ともしらで、かよひ候つるなり。たゞ御たすけ候へ」といへば、鬼「いといとにくきことなり。一ことして歸らん。なんぢ、命とかたちといづれか惜しき」といふ。聟「いかゞいらふべき」といふに、しうと、しうとめ「なにぞの御かたちぞ。命だにおはせば。「たゞかたちを」とのたまへ」といへば、敎へのごとくいふに、鬼「さらば吸ふ吸ふ」と云時に、聟、顏をかゝへて、「あらあら」といひて、ふしまろぶ。鬼はあよび歸ぬ。
さて「顏はいかゞなりたるらん」とて、紙燭(しそく)をさして、人々見れば、目鼻ひとつ所にとり据ゑたるやうなり。聟は泣きて、「たゞ、命とこそ申べかりけれ。かゝるかたちにて、世中にありてはなにかせん。かゝらざりつるさきに、顏を一たび見え奉らで、大かたは、かくおそろしき物に領ぜられたりける所に參りける、あやまちなり」とかことければ、しうと、いとほしと思て、「此かはりには、我もちたる寶を奉らん」といひて、めでたくかしづきければ、うれしくてぞありける。「所のあしきか」とて、別によき家を造りてすませければ、いみじくてぞ有ける。
適当訳者の呟き
めでたし、めでたし。。。なのか?
とりあえず、これで第九巻おしまいです!
博打:
ばくち。
ばくち打ち・博徒は、平安時代にはすでに存在していたようです。それも相当な数がいたのですね。
紙燭:
しそく。「脂燭」とも書きます。
松を細く削ったものの先端を焦がし、油を引いたもの。その松の枝の根元に和紙を巻いて、明るくするみたい。和紙を巻くので紙燭。もともとは、「脂燭」だったのでしょうか。
ちなみに、紙燭は「さす」もので、「ともす」ものではないようです。
[8回]
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