むかし、比叡山西塔の千手院というところに、
静観僧正という座主がお住まいになっていた。
夜が更けてから明るくなるまで、尊勝陀羅尼経を読み通すことを続けて、数年。
その声を聞く人は、これをたいへんに尊んでいた。
さて、陽勝という仙人がある晩、
空を飛んでいて、僧正の宿坊上空を通り過ぎようとするところで、
陀羅尼経を読む声を聞いて、下へ降り、
高欄の横木の上に腰をおろした。
陀羅尼経を読んでいた静観僧正は、誰だと思って、尋ねると、
蚊の鳴くような声で、
「陽勝仙人でございます。上空を通り過ぎたところ、
尊勝陀羅尼経の結構な御声を拝聴し、ここへ参りました」
と言うので、僧正は戸を開けて中へ招き入れると、
仙人は飛び降りて、僧正の前へ座った。
そうして、この頃の話などをして、
「ではそろそろ帰ります」
と陽勝仙人は立ち上がったが、人の気といったものに押されて、
うまく飛び立つことができない。
それで、
「香炉の煙を、近くに寄せてください」
と言うので、僧正が、香炉を近くへさし寄せると、
陽勝はその煙に載って、空へとのぼっていったのだった。
この僧正は、その後も香炉を用い、煙を立てるようになった。
実は陽勝仙人は、昔、静観僧正が親しく使っていた僧侶であって、
修行中に失踪してしまったため、数年来、どうしたのかと心配していたところ、
この日こうして訪れたため、あわれ、あわれと思って、
それからの僧正は、しばしば泣いてしまうのだという。
原文
千手院僧正仙人に逢ふ事
むかし、山の西塔千手院に住給ける静観僧正と申ける座主、夜更て、尊勝陀羅尼を、夜もすがらみて明して、年比になり給ぬ。きく人もいみじく貴みけり。陽勝仙人と申仙人、空を飛て、この坊のうへをすぎけるが、此陀羅尼のこゑをきゝて、おりて、高欄のほこ木のうへにゐ給ぬ。僧正、あやしと思ひて、問給ひければ、蚊のこゑして、「陽勝仙人にて候なり。空をすぎ候つるが、尊勝陀羅尼の聲を承りて参り侍るなり」とのたまひければ、戸を明て請ぜられければ、飛び入て、前にゐ給ぬ。年比の物語して、「今はまかりなん」とて立ちけるが、人げにおされて、え立たざりければ、「香爐の煙をちかくよせ給へ」とのたまひければ、僧正、香爐をちかくさしよせ給ける。その煙にのりて、空へのぼりにけり。此僧正は、年をへて、香爐をさしあげて、煙をたててぞおはしける。此仙人は、もとつかひ給ける僧の、おこなひして失せにけるを、年比あやしとおぼしけるに、かくして参りたりければ、あはれあはれとおぼそてぞ、つねに泣き給ける。
適当訳者の呟き
これで第八巻が終了! まだまだ続けますよー。
静観僧正
第20話で雨乞いを成功させたり、
第21話で毒龍の岩を祈り砕いたりする高僧です。
承和10年(843年)生れ。宇多天皇・上皇、菅原道真と同じ時代の人です。
尊勝陀羅尼経
尊勝仏頂に捧げられた陀羅尼(だらに)。唱える事によって滅罪、生善、息災延命などの利益が得られる、そうです。
「尊勝仏頂」というのは、如来の肉髻(にくけい)を神格化した仏の一種……頭が、お椀をかぶったように膨らんだやつです。脳みそが巨大になった証拠なんですね。
で、それを称える、尊勝陀羅尼。
陀羅尼とは、仏経文の中の呪文の一種で、梵語の音をそのまま漢音で読んだもの。有名な陀羅尼には、般若心経の「ぎゃーてーぎゃーてー、はーらーぎゃーてー」というのがありますね。
陽勝仙人
貞観11年(869年)生れ。もとは僧侶で、蚊に血を吸わせてやるくらい慈悲深い人でした。
この陽勝は、まず比叡山で修行を積み、大僧正にまでなった後、さらに仙人修行を行った――と書いているところもありました。
[5回]
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