昔、成村という相撲取りがいた。
あるとき、相撲節会が開かれるというので、
全国からたくさんの相撲取りが都へ上ってきて、朱雀門で涼んでいた。
そして、彼らが都見物気分で、大学寮の東門を過ぎ、南側へ行こうとしたところ、
東門へ出て涼んでいた大学寮の学士たちが、わらわらと近寄って来るや、
「うるさい奴らを黙らせろ。生意気な奴らめ」
などと言いながら、相撲取りを通せんぼしてしまった。
こちらは相撲取りだが、相手は貴族の子弟。ぶん殴って押し通るわけにも行かない。
成村は、こちらよりずっと背の低い学士たちのうち、
冠や上着が他やや良質に見えた者が、もっとも邪魔立てをしているようだと、
しばらく見つめていたが、
「もう帰るぞ」
と、一同は朱雀門へ戻って行った。
そして朱雀門へ戻ると、成村は、
「大学寮の奴らめ、憎くてならぬ。何の嫌がらせで、我々の通行を妨げるのか。
押し通っても良いと思ったが、ともかく今日はやめにして、明日こそは通ってやろう。
それにつけても、あの背の低い、身分の高そうな奴が、
『うるさい奴らを黙らせろ』などと声高だったのが、なお憎たらしい。
明日も同じような真似をするに違いないから、
おい、おぬし、明日はあ奴が鼻血を出すまで、蹴りつけてやれ」
と、仲間を指名すると、
「わしが蹴ったら、生きてはおられまい。こてんぱんにして、生かしてはおかぬわ」
と豪快な返事だった。
この男は、力自慢の力士の中でも人一倍膂力にすぐれ、動きもすばやいから、
成村も、とくに彼を指名したのである。
といったところで、その日は、それぞれの滞在先へと帰って行った。
さて翌日。
相撲取りは、昨日別行動をとっていた連中も集めて、
大勢ひとかたまりになって大学寮の傍らへ向うと、
学士たちもそれを承知していたと見え、昨日より人数が増えていた。
「うるさい奴らを、黙らせろ。生意気な奴らめ」
などと、わめき立てる学士たちに対し、
相撲取りは、ひとかたまりになって、押し通って行く。
昨日、人目を引いた小柄な学士は、
道の真ん中で、さあ来てみろ――とばかりに立ちはだかっている。
成村は、例の力士に、
「よし、蹴とばせ」
と目配せすると、力士は若く勇ましい男だ、着物をまくって、ぐいぐい進み始めた。
ほかの相撲取りたちも、あとに続いて押し通ろうとする、
学士たちは、これを通すまいとする。
と、例の小柄な学士の前に来た力士が、さあ蹴倒してやるぜとばかりに、
高く足を持ち上げた瞬間、
学士は、じっと相手を観察、体を曲げて避けたものだから
相撲取りは蹴り損なって体をおよがせた。
そして学士は、高くあがった相手の足を抱え込むや、
細い枝を持つように、軽々と振り回して、周りの力士たちに襲いかかったのである。
「わあ」
と、これにはさすがの力士たちも逃げ出したが、追いかける学士は、
抱えた力士を、えいやとばかりに2-30メートルもぶん投げたものだから、
投げられ、地に倒れた力士は悶絶。
全身が砕けて、起き上がる気配さえ無い。
だが成村も、もうそんなことに目をやる暇もなく、とにかく逃げるしかない。
学士は学士で、逃がしてなるものかと徹底的に追いかけて、
朱雀門の脇を逃げるところを、とうとう追い詰めたものだから、
もう逃げ切れない――と思った成村が築地塀を跳び越えようとした、
その足首を引っつかんで、沓の踵部分をむしり取ったのである。
やがて、ほうほうの体で築地塀の内側へ逃げ込んだ成村が見れば、
足は血まみれで、沓の踵も引きちぎられて無くなっていた。
追いかけてきたあの学士の強いこと強いこと……。
蹴りつけようとした力士も、棒きれか何かのように振り回され、投げ砕かれたし、
広い世の中、これほどおそろしいこともあるとは。
ちなみに、投げ飛ばされた力士は死んでしまったので、あとで収容した。
成村はその後、
「こんなことがあったのだが、あの学士は、定めし、立派な相撲取りであろう。
この成村であっても、とても敵うとは思われぬ」
そんなことを語ったので、かたのすけは、
「役人であれば、尋ねれば知れぬことはあるまい。
まして大学寮の人間ということが分っていればすぐにも分る」
と、熱心に探させたというが、
結局、どこの誰であったかは分らず仕舞だったという。
原文
なり村強力の学士にあふ事
むかし、成村(なりむら)といふ相撲(すまひ)ありけり。時に、国々の相撲ども、上(のぼり)あつまりて、相撲節待(すまひのせちまち)ける程、朱雀門 (すざくもん)に集(あつ)まりてすずみけるが、そのへんあそぶゆくに、大学(だいがく)の東門(ひがしもん)を過(すぎ)て、南ざまにゆかんとしける を、大学の衆どもも、あまた東の門荷出(いで)て、すずみたてにけるに、この相撲どものすぐるを、通(とを)さじとて、「鳴(な)り制(せい)せん。鳴 (な)り高(たか)し」といひて、たちふさがりて、通(とほ)さざりければ、さすがに、やごつなき所の衆どものすることなれば、、破(やぶり)てもえ通 (とほ)らぬに、たけひきらかなる衆の、冠、うへのきぬ、こと人よりはすこしよろしきが、中にすぐれて出(い)で立(た)ちて、いたく制するがありける を、成村はみつめてけり。「いざいざ帰(かへり)なん」とて、もとの朱雀門に帰(かへり)ぬ。 そこにていふ、「この大学(がく)の衆、にくきやつども哉 (かな)。何の心に、我らをば通(とほ)さじとはするぞ。ただ通(とを)らんと思(おもひ)つれども、さもあれ、けふは通らで、あす通(とを)らんと思 (おもふ)なり。たけひきやかにて、中にすぐれて、「鳴(な)り制(せい)せん」といひて、通(とを)さじとたちふたがる男、にくきやつ也。あす通(と を)らんにも、かならず、けふのやうにせんずらん。なにぬし、その男が尻鼻、血あゆばかり、かならず蹴(け)たまへ」といへば、さいはるる相撲、わきをか きて、「おのれが蹴てんには、いかにも生(い)かじものを。がうぎにてこそいかめ」といひけり。この尻蹴(しりけ)よといはるる相撲は、おぼえある力、こ と人よりはすぐれ、はしりとくなど有(あり)けるをみて、成村(なりむら)もいふなるけり。さて其日は、おのおの家々(いへいへ)に帰(かえり)ぬ。
又の日になりて、昨日参(まい)らざりし相撲などをあまためし集(あつ)めて、人がちになりて、通(とを)らんとかまふるを、大学の衆もさや心得にけ ん、きのふよりは人おほくなりて、かしがましう、「鳴(な)る制(せい)せん」といひたてけるに、この相撲(すまう)どもうち群(む)れて、あゆみかかり たり。きのふすぐれて制(せい)せし大学(がく)の衆、例(れい)のことなれば、すぐれて、大路を中に立(たち)て、すぐさじと思ひけしきしたり。成村 (なりむら)「けよ」といひつる相撲に目をくはせければ、この相撲、人よりたけたかく大きに、わかくいさみたるをのこにて、くくり高(たか)やかに、かき あげて、さし進(すす)み歩(あゆ)みよる。それにつづきて、こと相撲(すまひ)も、ただ通(とを)りに通(とを)らんとするを、かの衆どもも、通(と ほ)さじとするほどに、尻蹴(しりけ)んとする相撲、かくいふ衆(しゆ)に、はしりかかりて、蹴倒(けたを)さんと、足をいたくもたげるを、此衆(しゆ) は、目をかけて、背(せ)をたはめて、ちがひければ、蹴(け)はづして、足(あし)のたかくあがりて、のけざまになるやうにしたる足(あし)を大学(が く)の衆(しゆ)とりてけり。その相撲(すまひ)をほそき杖などを人の持(も)ちたるやうに、ひきさげて、かたへの相撲(すまひも)に、はしりかかりけれ ば、それをみて、かたへの相撲(すまひ)逃(にげ)けるを追(を)ひかけて、その手にさげたる相撲(すまひ)をば投(あ)げければ、ふりぬきて、二三段 (たん)ばかり投(な)げられて、倒(たう)れ伏(ふ)しにけり。身くだけて、おきあがるげくもなくなる。それをばしらず、成村(なりむら)も、目(め) をかけて逃(にげ)けり。心おかず追(お)ひければ、朱雀門のかたざまにはしりて、脇の門より走(はしり)入(いる)をやがてつめて、走(はしり)かかり ければ、とらへられぬと思(おもひ)て、式部省の築地(つゐぢ)越(こ)えけるを、ひきとどめんとて、手をさしやりたりけるに、はやく越(子)えければ、 異所(ところどころ)をばえとらへず、片足(かたあし)すこしさがりたりけるきびすを、沓加(くつくは)へながらとらへたりければ、沓のきびすに、あしの 皮をとり加(くは)へて、沓のきびすを、刀にてきりたるやうに、引(ひき)きりて、、とりてけり。成村(なりむら)、築地のうちにたちて、足をみければ、 血走(はし)りて、とどまるべくもなし。沓のきびす、きれて失(う)せにけり。我を追(お)ひける大学(がく)の衆(しゆ)あさましく力ある者にてぞあり けるなめり。尻蹴(け)つる相撲をも、人杖(ひとづゑ)につかひて、投(な)げくだくめり。世中(よのなか)ひろければ、かかる物のあるこそおそろしき事 なれ。投(な)げられたる相撲は死(しに)いたりければ、物にかきいれて、荷(にな)ひてもてゆきけり。
この成村(なりむら)、かたのすけに、「しかじかの事なん候(さぶらひ)つる。かの大学(がく)の衆はいみじき相撲にさぶらふめり。成村(なりむら)と 申(まうす)とも、あふべき心ち仕らず」とかたりければ、かたのすけは、宣旨(せんじ)申(まうし)くだして、「式部の丞なりとも、そのみちにたへたらん はといふことあれば、まして大学(がく)の衆は何條ことかあらん」とて、いみじう尋(たづね)求められけれども、その人とも聞えずしてやみにけり。
適当訳者の呟き
学士無双ですね。
成村:
なりむら。真髪成村。
「今昔物語集」にも登場。陸奥とか常陸出身の相撲人で、円融天皇の永観2年(984)、相撲の節会で左の最手(ほて・最高位)となり、右の最手・海恒世(あまの-つねよ)と死闘をくりひろげたという。
……と出ましたが、無茶苦茶強い人はほかにいたのですね。
鳴り制せん。鳴り高し:
微妙にどうやって訳したら良いのか分りませんでした。
鳴り=やかましく鳴るもの。制す=それを止めさせる。→「うるさい奴らを黙らせろ」
かたのすけ:
誰だ? 「方の輔」かなあと思ったりしますが、すけ、は次官なので、部下かしら?
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