これも今は昔、白河院の時代に、
北面の雑使に、評判の美女がいた。
名を、ろく、という。
殿上人が、宴を催して楽しもうとしていたが、
雨が降って、退屈な日になったため、ある人が、
「ろくを呼んで、退屈をまぎらわせよう」
と思いつき、使いの者に、
「六を呼んで来い」
と命じた。
ほどなくして、
「六を連れてきました」
というから、
「あちらから、屋敷の客間へ通せ」
と、侍をろくのもとへ行かせて、
「客間へ上がるべし」
と伝えると、
「分不相応にござります」
と答える。
仕方がないので侍が戻り、
「呼びましたが、不相応だと申しまして、まことに恐れ多い次第で」
と報告すると、殿上人たちは、不相応などと言って、
参上するのを拒んでいるのだと思うから、
「なぜそう申す。ただ連れて参れば良い」
そのように言葉を取り次がせる。
すると、ろくの方では、
「ご冗談でしょう。以前にも、御客間へ参上したことはありません」
と答えたというので、大勢の殿上人は、
「とにかく出て参れ。つべこべ申すな」
と責め立てると、ろくは、
「恐れ多き次第なれど、お召しなれば」
と、客間へ参上した。
さて、館の主人たる殿上人が客間まで出て見ると、
控えていたのは、刑部の録という、髪やら髭に白いものがまじったような老役人だった。
殿上人を前に、木賊色の狩衣に青袴姿で、
さやさやと衣擦れの音が鳴るほどにかしこまり、扇を笏のようにして、
こちらが何かを言うのをうつむき加減で待っている。
殿上人の主人、何とも言いようが無く、黙っていると、
刑部録の老人は、いよいよかしこまって、俯せになるばかり。
それで主人も黙っているわけにも行かないから、
「ああ、今、役所には誰が残っているか」
と尋ねると、
「だれそれと、かれそれ」
と答えるが、何だか意味がわからないから、いよいよ恐れ入って、後ろ向きにすべって行く。
殿上人はそれで、
「そのように宮仕えすることは、神妙である。
そのようにすれば、必ず、見参に入れるのだ。よし、さっさと下がれ」
と言って、帰らせたのだった。
このことを後に、雑使のろく本人が聞いて、笑ったとか。
原文
北面の女雜仕六の事
是も今は昔、白川院の御時、北おもてのざうしにうるせき女ありけり。名をば六とぞいひける。殿上人ども、もてなし興じけるに、雨うちそぼふ りて、つれづれなりける日、ある人、「六および、つれづれなぐさめん」とて、使をやりて、「六よびて來」といひければ、ほどなく、「六召して參りて候」といひければ、「あなたより内の出居(でい)のかたへ具して來」といひければ、さぶらひ、いできて、「こなたへ參り給へ」といへ ば、「びんなく候」などいへば、侍、歸きて、「召し候へば、『びんなくさぶらふ』と申て、恐申候なり」 といへば、つきみて云にこそと思ひて、「などかくはいふ。たゞ來」といへども、「ひが事にてこそ候らめ。さきざきも内御出居などへ參事も候はぬに」といひければ、このおほくゐたる人々「たゞ參り給へ。やうぞあらん」とせめければ、「ずちな き恐に候へども、めしにて候へば」とて參る。
このあるじ見やりたれば、刑部(ぎやうぶの)録(祿)といふ廳官(ちやくはん)、びんひげに 白髪まじりたるが、とくさの狩衣(かりぎぬ)に靑袴きたるが、いとことうるはしく、さやさやとなりて、扇を笏に取りて少し俯伏して蹲り居たり。大方いかに云ふべしともおぼえず、物もいはれねば、此廳官(ちやうは ん)、いよいよおそれかしこまりてうつぶしたり。あるじ、さてあるべきならねば、「やゝ廳には又何者か候」といへば、「それがし、かれがし」といふ。いとげにげにしくもおぼえずして、廳官、うしろざまへすべりゆく。此あるじ、「かう宮仕へするこそ、神妙なれ。見參には必いれんずるぞ。とう罷りね」とこそやりけれ。
此六、のちに聞て笑ひけるとか。
適当訳者の呟き
主語がはっきりしないので、案外難しいです。
うるせき女、六
利発な、賢い、という意味で出ますが、この場合は、うるわしいと解した方がよさそうです。
うるさい女じゃありません。
名前は「六」ですが、平仮名にしておいた方が、取り違えがわかりやすくなると思いました。
出居
でい。 寝殿造の庇の内部にある応接用の部屋。凡下では立ち入れません。
刑部の録
刑部省の下級役人。輔、丞、の下に、大録少録が来ます。
録の人は、高くても、正七位とかなので、殿上人(五位以上)の人たちと同席するというのは、この上もない名誉なことです。
[11回]
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