昔、経頼という相撲取りの家のかたわらに、
古い川があって、深く淵になっている箇所があった。
さてある夏。
川の近くに木陰があるので、涼をとろうと、
経頼は一重の薄ものだけを着て、着物をからげ、
足駄履きで、二叉杖をつきながら、童子一人をお供にやって来た。
川の淵は青くおそろしげで、底も見えない。
葦や真菰といった背の高い草が生い繁っている辺を見つつ、
水際へ立った経頼が、対岸は6-7反、50メートルほど離れているかなと見ているうち、
ふと水が盛り上がり、こちらへ押し寄せてきた。
何ごとだと思っていると、近づくにつれ、大蛇が頭を差し出しているのが分った。
「この蛇は大きいぞ。外へ出ようというのか」
と見ていると、大蛇の方は頭をもたげて、こちらをじっと見つめた。
何を考えているのかと思い、水際一尺ばかりの近くに立っていると、
大蛇は、なおもしばらく見つめていたが、やがて水中へ頭を引き入れた。
と、向うの岸から、水がみなぎってきた、と見るうち、
またもこちらへ波を立てて大蛇が尾を水際から差し上げ、経頼の側へ近づけるので、
「この蛇、何を考えている」
と、見ていると尾をいっそう近づけ、不意に、経頼の足へ三巻四巻と巻き付いたのである。
何のつもりだと、立っていると、
大蛇は尾を強く巻き付けた後、きしきしと引き立てようとするため、
川へ引きずり込もうとするのだと、経頼、その時になって思い知った。
足を踏みしめると、さらにまことに強く引くから、
やがて経頼は履いていた足駄を踏み折った。
引き倒されそうになるところを、なお身構えて踏みとどまっていると、
大蛇は、強く引くと言うも愚かなほど、強烈に引いてくる。
引きずり込まれる、と思うところを強く強く踏みこらえ、
片側に五六寸、ふくらはぎまで水につかってなおも踏ん張った。
経頼、たいそう引くものだと思っているうち、
不意に、縄を切るような感触があって、水中にさっと血が沸き出したように見えたため、
切れたかと、足を引けば、大蛇も退き、浮かび上がった。
経頼が足に巻き付いた大蛇の尾を引きほどき、水で足を洗ったが、
締め付けられた跡が消えない。
「酒で洗えば」
と人が言うので、酒を取りにやって洗うなどした後、
従者たちを呼んで、水から大蛇の尾を引き上げさせると、
大きいというも愚か、切り口の大きさだけで幅一尺、30センチはあると見えた。
頭の方を見にやると、向う岸にある木の根へ、頭の方を何重にも巻き付いた上で、
尾を差しのばし、経頼の足へからみついて、引き合ったらしかった。
力を入れすぎて、半ばで引きちぎれたのだろう。
己の身が切れるのも知らずに引っ張っていたのだから、すさまじい。
さて後に、この大蛇の力がどのくらいであったか試みようと、
大きな縄を持って来て、大蛇が巻き付いたところへ巻き付け、
十人ばかりで引かせたところ、経頼は、
「まだ足りない足りない」
と言い、六十人ほどで引いた時に、
「このくらいであったと思う」
と言ったものだった。
これを思うに、経頼の力というのは、百人分ほどにもなるだろう。
原文
經頼蛇にあふ事
昔、經頼(つねより)といひける相撲(すまひ)の家のかたはらに、ふる河の有けるが、ふかき淵なる所ありけるに、夏、その川ちかく、木陰のありければ、かたびらばかり着て、中ゆひて、あしだはきて、またぶり杖といふものにつき、小童ひとり供に具して、とかく歩きけるが、涼まんとて、そのふちのかたはらの木陰に居りけり。ふち青くおそろしげにて、底もみえず。あし、こもなどいふ物、おひしげりたりけるを見て、汀ちかくたてりけるに、あなたの岸は、六七たんばかりはのきたるらんと見ゆるに、水のみなぎりて、こなたざまに來ければ、なにのするにかあらんと思程に、このかたの汀ちかくなりて、蛇の頭をさし出でたりければ、「この蛇大ならんかし。とざまにのぼらんとするにや」と見立てりけるほどに、蛇、かしらをもたげて、つくづくとまもりけり。
いかに思ふにかあらんと思ひて、汀一尺ばかりのきて、はた近く立てみければ、しばしばかり、まもりまもりて、頭を引入てけり。さてあなたの岸ざまに、水みなぎると見ける程に、又こなたざまに水波たちてのち、蛇の尾を汀よりさしあげて、わが立てる方ざまにさしよせければ、「この蛇、思ふやうのあるにこそ」とて、まかせて見立てりければ、猶さしよせて、經頼が足を三四返ばかりまとひけり。いかにせんずるにかあらんと思て、立てるほどに、まとひ得て、きしきしとひきければ、川に引きいれんとするにこそありけれと、その折に知りて、ふみつよりて立てりければ、いみじうつよく引と思ふほどに、はきたるあしだのはをふみ折りつ。引倒されぬべきをかまへてふみ直りて立てれば、つよくひくともおろかなり。ひきとられぬべくおぼゆるを、足をつよくふみ立てければ、かたつらに五六寸斗足をふみいれて立てりけり。よくひくなりと思ふほどに、縄などの切るゝやうに切るゝまゝに、水中に血のさつとわき出づる様にみえければ、きれぬる也とて、足をひきければ、蛇引さしてのぼりけり。
そのとき、足にまとひたる尾をひきほどきて、足を水にあらひけれども、蛇の跡うせざりければ、「酒にてぞあらふ」と、人のいひければ、酒とりにやりてあらひなどしてのちに、從者共よびて、尾のかたを引あげさせたりければ、大きなりどもおろかなり。きり口の大さ、わたり一尺ばかりあるらんとぞ見えける。かしらの方のきれを見せにやりたりければ、あなたの岸に木の根のありけるに、かしらにかたを、あまたかへりまとひて、尾をさしおこして、あしをまとひて引なりけり。力おおとりて、中より切れにけるなめり。我身の切るゝをもしらず引きけん、あさましきことなりかし。
其後蛇(くちなは)の力のほど、いくたりばかりの力にかありしとこゝろみんとて、大なる縄を、蛇の巻きたる所につけて、人十人ばかりして引かせけれども、「猶たらずたらず」といひて、六十人ばかりかゝりて引きける時にぞ、「かばかりぞおぼえし」といぎける。それを思ふに、經頼が力は、さは百人ばかりが力をもたるにやとおぼゆるなり。
適当訳者の呟き:
相撲取りは強いですね。
経頼:
つねより。不明ですが、平安時代、藤原道長のころ実際にいた相撲取りのようです。
ちなみにあたくしが参照している注釈書には、「頼経」とありました。
六七たんばかり:
川幅が6-7反だとあります。1反が長さだと2丈8尺、8.5メートルくらいだそうですが、そうすると大蛇が長すぎるので、違う1反かもしれません。
ちなみに面積の1反だと300坪、1ヘクタールにもなるので、さすがに違いますね。
蛇:
くちなわ。
平安から鎌倉時代にかけては、蛇のことを、こう呼ぶのが一般的だったようです。
「朽ちた縄」というところに語源があるようです。
またぶり杖:
枝をそのまま杖にしたような、Y字型の杖。
木偏に叉、木偏に亞で、「またぶり」です。
[2回]
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