(つづき →
最初から)
さてあるとき。
若い女房たちが集まり、庚申の夜の宴をしていたところ、
この出家した呆け男、俊平の弟も、部屋の片隅に、ほうけたまま座っていた。
やがて夜も更けて、次第に眠くなるので、女房の中で、若くて気の強い女が、
「入道の君。おかしな話をしてくださいませ。笑いで目を覚ましましょう」
と言うと、入道は、
「わしは口がうまくきけず、人が笑うような物語など、知っていようはずがありません。
とは申せ、ただ笑いたいということであれば、笑わしてあげますが」
と言う。
「お話はせず、ただ笑わそうと申されるのは、猿楽でもするのですか。
それならお話を聞くよりも良い」
と、まだ何も喋らないうちから笑い出すが、
「そうではありません。ただ、笑わしてあげます」
「どういうこと。とにかく早く笑わせてみせなさい。どうするの、どうするの」
と責め立てるように言うので、
法師はどうするのか、何かを手に、火の明るいところへ出てきた。
そして、何をするのかとみなが見ている前で、
算木を持ち、さらさらと占いめいたことを始めたので、女房たちは、
「これ、それのどこにおかしいことがあるじゃ。さあさあ笑わして笑わして」
と馬鹿にするが、法師は返事もせず、算木をさらさらと置き続けた。
そうして膝の前へ算木を置き終えた後で、七-八分ほどに広げた中から算木を一つ取り、
手に捧げて言うには、
「それでは、おまえ様方。笑いすぎて、わしへお詫びなさるなよ。
いざ、笑わしてご覧にいれる」
「そうやってことさらに身構えるのが馬鹿馬鹿しい。何をして笑わせようと申すのか」
などと言っているうち、法師がその八分ほどの算木を、追加した、と見た瞬間、
その場に居合わせた人がみな、突然、笑いの壺を押されたのである。
むちゃくちゃに笑い転げ、留めようとしてもどうしようもない。
はらわたが引きちぎれる思いがして、死にそうにまでなるから、涙をこぼし、
どうしようもなく笑い壺に入った連中は、ものを言うこともできず、
入道へ向って手を摺り合わせるばかり。
「ゆえにわしは、申したのです。笑い飽きましたか」
法師が言うと、みなは頷き頷き、騒ぎ、ひっくり返り、笑い笑いしながら、
とにかく手をこすりあわせて拝むから、入道はよくよく詫びを入れさせて、
並べた算木を押し壊したため、笑いはおさまった。
「今しばらくでも笑い続けていたら、死んでいました。
いやはや、これほど堪え難いことはほかにありません」
そんなふうに、みな口々に言った。
笑いが困じて、全員引倒れ、どうかしてしまったようであった。
そういうわけで、
「人を置き、生かす術もあると言う奥義も伝えていたら、どれほどであったか」
と、人も言ったという。
算術の道は、恐ろしいことにもなるということである。
原文
高階俊平が弟入道算術事(つづき)
ある時、わかき女房どものあつまりて、庚申しける夜、此道君、かたすみに、ほうけたるていにて居たりけるを、夜ふけけるまゝに、ねぶたがり て、中にわかくほこりたる女房のいひけるやう、「入道の君こそ。かゝる人はをかしき物語し給へ。わらひてめをさまさん」といひければ、入道、「おのれは口てづゝにて、人の笑給ばかりの物語は、えしり侍らじ。さは有ども、わらはんとだにあらば、わらはかし奉てんかし」と云ければ、「物語はせじ、たゞわらはかさんとあるは、猿楽をし給ふか。それは物語よりは、まさることに てこそあらめ」と、まだしきに笑ひければ、「さも侍らず。たゞ、わらはかし奉らんと思なり」といひければ、「こは何事ぞ。とく笑はかし給へ。いづらいづら」とせめられて、なににかあらん、物もちて、火のあかき所へ出來りて、何事せんずるぞと見れば、算をさらさらと 出しければ、これをみて、女房ども、「これ、をかしきことにてあるかあるか、いざいざわらはん」など、あざけるを、いらはもせで、さんをさらさらと置きゐたりけり。
置きはてて、ひろさ七八分斗の算の有けるを一取(ひとつとり)いでて、手にさゝげて、「御ぜんたち、さは、いたく笑ひ給て、わび給なよ。いざ、わらはかし奉らん」といひければ、「そのさむさゝげ給へるこそ、をこがましくてをかしけれ。なにごとにて、わぶ斗は笑はんぞ」など、いひあひたりけるに、その八分ばかりのさんを、置き加ふると見れば、ある人みなながら、すゞろ にゑつぼに入にけり。いたく笑て、とゞまらんとすれどもかなはず。腹のわた、きるゝ心ちして、死ぬばくおぼえければ、涙をこぼ し、すべきかたなくて、ゑつぼにいりたるものども、物をだにえ言はで、入道にむかひて、手をすりければ、「さればこそ申つれ。笑ひあき給ぬや」といひければ、うなづきさわぎて、ふしかへり、笑ふ笑ふ手をすりければ、よくわびしめてのちに、置たるさむを、さらさらとおしこぼちたりければ、笑ひさめにけり。「いましばしあらましかば、死まなし。又かばかりたへがたきことこそなかりつ れ」といぞひあひける。笑ひこうじて、あつまりふして、病むやうにぞしける。かゝれば、「人を置きいくる術ありといひけるをも傳へたらましかば、いみじからまし」とぞ、人もいひける。
算の道は恐しきことにぞありけるとなん。
適当訳者の呟き:
まったく、おもしろいですね!
これにて14巻おわり。あと残すは15巻のみーーーーーー!
庚申:
こうしん。
庚申の夜には、人間の中に住んでいる三尸の虫というのが、閻魔様に悪事をチクリに行くというので、それをさせまいと、夜通し酒盛りをして起きているという風習が、平安の昔から江戸時代くらいまであった模様。
ちなみに、庚申は年に6回。2013年は、2/23, 4/24, 6/23, 8/22, 10/21, 12/20 みたいです。
今度、夜更かししてみてください。
算:
平安時代の大学寮に「算博士」というのがいて、以前は「数学教授」くらいの認識で紹介しましたが、これを見ると、算術マスターは、もっとすさまじい占い師、呪術師ですね。
巻十 (122)小槻當平の事
に、算術マスターの息子が、妬まれて呪われた、という話がでてきますが、陰陽師VS算博士の呪術合戦という一面があったのかもしれませんね。
ちなみに、今でも「そろばん占い」とかありますが、起源を遡ると、すごいのです。
[3回]
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