(最初から)
ある限りの物をこちらへ運び入れ、
乗り合わせた連中は、男女問わずみな海へ投げ込んでいると、
若い主人が、こそこそと手を摺り合わせ、
水晶の数珠がちぎれたような涙をはらはらとこぼしながら、
「よろずの物はすべてお取り下さい。しかし我が命ばかりはお助け下さい。
京都に、年老いた母が明日をも知れぬ大病を患い、
『今一度会いたい』と、夜を昼にして使者を送ってきたため、
こうして急いで上京しているのです」
そんなことを、言い終らないうちからわしの目を見て、
さんざんに手を摺り合わせている。
「これ、そのように口を開かせるな。例のごとく、早くしろ」
とわしが言えば、目を合わせたままひときわ高く泣き惑うさまは、
まことに、まことに心を打つものがある。
あわれであり、残酷なことだと思われたが、すでに命令したことであり、
そうするほかないのだから、結局、海へ投げ込んだ。
そうして最後に、屋形の上で、首に経袋をかけて、
夜昼ずっと経を読んでいた、二十歳ばかりのかよわい僧侶も、海へ投げ入れた。
だがこの若い僧侶は、波の中、時に手を動かしながら経袋を抱えて水面に浮び、
掲げた手に経文を捧げて、浮き出よう浮き出ようとするので、
珍しい坊主だ、まだ死なぬのかと、
舟の櫂で頭をぼかりと殴り、背中を突いて海中へ沈めようとしたが、
それでも浮き上がり、出てきては例の経典を掲げている。
さすがにおかしいと思い、よくよく見れば、浮かび上がった僧侶の前後に、
角髪(みずら)結びにしたうつくしい童子が2、3人、手に白い杖を持って寄り添っている。
一人が僧の頭に手をかけ、また一人は経文を掲げる腕を支えているようであった。
傍らの者どもに、
「あれを見よ。あの僧に付き添う童子どもは、何ぞ」
と言うが、
「何処だ。何処にも人はいないぞ」
と答えるばかり。
しかしわしの目には、確かに見えた。
あの童子が寄り添うので、僧侶は海中へ沈み込むことなく、浮き上がるのだ。
あまりに不思議なことだから、近くで確かめようと、
「これに捕まり、来い」
と、棹を差し出し、取って捕まるのを引き寄せたから、
周りの連中は、
「何故そんなことをするのか。馬鹿なことをするな」
と言う。
だがわしは、
「この僧一人だけは生かしておく」
と、舟へ乗せたのである。
そうして、この僧侶を近くへ引き寄せて見れば、例の童子はもう見えなかった。
(つづく)
原文
海賊發心出家の事(つづき)
物のあるかぎり、わが、舟にとり入れつ。人どもは、みな男女、みな海にとり入るる間に主人、手をこそこそとすりて、水精(すゐしやう)のずゞの緒切れたらんやうなる涙を、はらはらとこぼしていはく、「よろずの物は、みなとり給へ。たゞ、我命のかぎりはたすけ給へ。京に老たる親の、限りにわづらいて、「今一度みん」と申たれば、よるを晝にて、つげにつかはしたれば、いそぎまかりのぼる也」とも、え言ひやらで、われに目をみあはせて、手をするさまいみじ。「これ、かくはいなせそ。例のごとく、とく」といふに、目をみあはせて泣きまどうさま、いといといみじ。あはれに無慙(むざう)におぼえしかども、さ言ひて、いかゞせんと思なして、海にいれつ。
屋形の上に廿斗にて、ひはつなる僧の經袋くびにかけて、よるひる經よみつるをとりて、海にうち入つ。時に手まどひして、經袋をとりて、水のうへにうかびながら、手をさゝげて、この經をさゝげて、浮きいでいでするときに、希有の法師の、今まで死なぬとて、舟のかいして、かしらをはたとうち、せなかをつき入れなどすれど、浮きいでいでしつゝ、この經をさゝぐ。あやしと思ひて、よく見れば、この僧の水にうかびたる跡まくらに、うつしげなる童の、びづらゆいたるが、白きずはえをもちたる、二三人斗見ゆ。僧のかしらに手をかけ、一人は、經をさゝげたる腕を、とらへたりと見ゆ。かたへの者どもに、「あれみよ。この僧につきたる童部はなにぞ」といへば、「いずらら。さらに人なし」といふ。わが目にはたしかに見ゆ。この童部そひて、あへて海にしづむことなし。浮びてあり。あやしければ、みんと思ひて、「これにとりつきて来」とて、さををさしやりたれば、とりつきたるを引よせたれば、人々「などかくはするぞ。よしなしわざする」といへど、「さはれ、この僧ひとりは生けん。」とて、舟にのせつ。ちかくなれば、此童部は見えず。
適当役者の呟き:
無造作に海へ放り込むのですね。。。おそろしや。
びずら:
角髪、みずら。有名な聖徳太子の絵の、左右にいる童子二人の髪型ですね。
水精:
すいしょう。水晶と同じ。
ずはえ:
杖。
[3回]
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